弓道教歌: 剛(ごう)は父 繫(かけ)は母なり 矢は子なり 片思ひして 子は育つまじ

弓道教本第一巻に掲載されている「射法訓」に、「書に曰く、鉄石相剋して火の出ずる事急なり」とありますが、この「書」とは「日置流竹林派総目録」のことであり、目録に依れば「十二字五位之事: 父母 君臣 師弟 鉄石 老木晴嵐」とあり、具体的には「1.父母等しければ子の成人急なり、2.君臣直ければ国豊かなり、3.師弟相生ずれば諸学長高す、4.鉄石相剋して火の出ずる事急なり 5.老木晴嵐紅葉散り満ちて冬(すさま)じ」という説明になります。

この日置流竹林派の弓道教歌は、この第一位を歌ったものであり、弓道教本第一巻の「射法訓」における説明は、第四位についての説明でありますが、同義の内容になります。

この歌の解釈は、剛は押手(弓手)を指し、繫は勝手(馬手)を指します。双方がそれぞれの役割を果たすことによって、子である矢が真っすぐに飛ぶ、という弓道の射術の本質を説明した歌になります。

この弓道教歌に即して弓道とアーチェリーを比較すると、その射法・射術・弓具の働きの違いが、非常に明確になります。アーチェリーは弓手を固定し、利き手を馬手とし、馬手で放す技術が重要である為右打ち、左打ちがありますが、弓道の場合は左の弓手、右の馬手がそれぞれ重要な役割を果たす為、どちらの利き手が有利とも一概に言えず、弓手・馬手ともに離れの瞬間まで、合理的に定められた役割を果たす必要があります。むしろ左手の弓手が、手の内でより複雑な技術を要し、平等に働きながらも、離れでは最後の角見の働きの発信の機能を担っています。

この弓道教歌が示すように、弓手起点の離れで鋭く利かせた角見が最大に発揮される為に、馬手の働きも非常に重要になりますが、それではどのような馬手の働きが必要となるのでしょうか。

具体的には、範士九段 日置流印西派免許皆伝 故・稲垣源四郎先生の「絵説 弓道入門 全」にその取りかけの詳細が分かりやすく説明されており、引用させて頂きます。この本は、正面打起し、斜面打起し両方の説明が詳述され、また91項目に及ぶ射癖とその直し方が解説されております。自然科学の物理学の視点から弓射の現象についても説明があり、速すぎて肉眼では追えないスピードの弓や弦の返り、矢の軌道等、弓射の物理現象についての深い理解を得ることができます。

弓手の親指以外の指四本をぎゅっと握ってはいけないように、馬手もぎゅっと握ってしまうと弓手起点の離れができず、会に至っても馬手を開くしか放す方法が無くなり、そのような離れでは、下記の記事でご説明した通り、発射時に左右のバランスを欠いて矢と弦が蛇行し、角見の働きの弓返りの力も減衰されてしまします。

和弓の馬手離れとアーチェリーのアーチャーズパラドックスについて

アーチェリーでは、矢をつがえている馬手ではなす(リリースする)ことが弓射の基本であるのに、和弓ではどうして馬手離れが問題となるのでしょうか。 それは、アーチェリ…

その事を示した弓道教歌として、以下のものがあります。

勝手をば 大事になせよ 虎の尾を 握る心と思いさだめて (小笠原流)

上記の弓道教歌のとおり、馬手での取りかけにおいて、勝手(馬手)は余計な力を入れてはいけない事が示されています。「岡内木先生的前射法」においても、この取りかけのやり方が非常に細かく、懇切丁寧に指示されています。三つがけの場合、小指・薬指は全く使わずもちろん力を入れず、中指、人差し指はしっかりと親指にかけているものの余計な力は入れず、親指をピンと反らして、捻りを加えた状態、かつ軽くとりかけている状態である必要があります。

弓手も、馬手も軽く握っていて、そんな状態でいったいどうやって弓を引くのか、と初心の頃は疑問に思いますが、それが下記の記事での説明のとおり、弓道は骨法で弓を引く、ということになります。「岡内木先生的前射法」では、「初心の間は少々打起は高くても構ひませんから、頭から被ぶりこむ様な心組で引き取られる(引き分ける)方が宜いのであります。」、と説明があります。つまり、長尺の弓の性質を生かし、弓射の最適な骨の組み合わせ上で、非常に強い力を生み出す背筋力を主に使って引き分ける射法で、馬手の引く力の筋力が特に重要になるアーチェリーとは、骨・筋力の働きがやはり異なります。このような骨法で引き分ける射法により、弓手は角見の働きの機能を主とすることができ、馬手はその弓手の働きを最大にするため、弓手の角見の働きで弦枕から弦が外れる発射の瞬間まで、弦押しで支える機能を主とすることができます。

骨法と素引き

弓道教本第一巻「射法訓」に、「弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり」とあります。また、弓道では「骨法」が大事、と言われますが、この弓道における骨とは、どういう…

「岡内木先生的前射法」では、取りかけた後、引き分けまでの馬手の状態について、「右手は第一腕と矢とが全く一直線に流れて居なければなりません。」、とありますが、親指を反らし弦押しする事により、馬手の親指が真っすぐに的の方向を向き、骨法で引き分けていくときの、馬手の力の方向が揃い一直線に引き分けることができます(注:岡内木先生は日置流竹林派で、斜面打起しでは取りかけた状態で、引き分けと同じ馬手の形になりますが、大三からは打起し問わず物理的な働きは同じになります)。かつ、弦枕から弦が外れた際、弦が帽子に触れて矢の方向性が変わらぬよう帽子を真っすぐにした状態で発射の準備ができることになります。宮田純治は、1967年の世界弓術選手権(World Archery Championships 1967)において、特に70m、90mの距離においてはこの堅帽子がわずかでも弦に触れると大きく方向性に影響を与える為、耐候性も含めて消去法で柔帽子を使いましたが、通常の弓道では近的はもちろん、60mの遠的において、三寸詰の竹弓の強弓・麻弦・竹矢の遠的矢・三つがけの堅帽子のゆがけで近的を射抜くように矢所を集めることができたのも、この射法と堅帽子のゆがけで矢が真っすぐに飛んだ為です。

明治神宮例祭遠的大会三連覇

21歳で浦上道場に入門した同年に既に国民体育大会で東京代表として出場した宮田純治は、その後も順調に弓道稽古を積み重ね、2年後には全日本弓道連盟の審査で五段を授かり…

このように親指を適切に反らすことができていると、下がけが、しばらく稽古すると以下のように親指の先に穴が開くようになります。

このひねりを加えることで、人差し指の側面で矢を支える安定性が増し、角見の働きを更に助長することができます。ただ、手首だけでひねると逆に矢を手首から落とすことがあり、岡内木先生の教えの通り、右手の第一腕全体が働く必要があります。堅帽子のゆがけには、固い控(ひかえ)がついており、これにより右手の第一腕全体を固定する役割があります。

この取りかけが正しくできると、軽く押さえているのにしっかりと矢筈が弦にはまり、強弓を引いても筈こぼれをすることがありません。元々中仕掛けをする目的は、矢の筈との接点である弦の保護であり、古来の熟練の射手がより遠くに飛ばす為に矢の発射時の摩擦を最小化する為に中仕掛けをしなかったように、宮田純治も射流し大会では、中仕掛けをしないで弓射し、334mの日本記録を出すことができました。ただ、この取りかけひとつとっても非常に難しく、正しくできるようになるのは通常、長年の稽古が必要となります。特に初心のうちはどうしても力が入ってしまったり、上手くひねることができないことが多いのが実態であり、通常の弓道稽古において、相当正しい取りかけに熟練しない限り、中仕掛けをしないと筈こぼれを起こす可能性が高く、しっかりと弦に中仕掛けをしてから弓射する事をお勧めしますが、上記の射流しの話は、古来の正しい取りかけの合理性を示す事実でもあります。

射流し(遠矢前)大会記録334m

宮田純治は、昭和41年、茨城県大洗町で開催された第12回射流し大会にて、334mを飛ばし、大会記録を出して第1位となり、茨城県知事賞の商品を頂きました。射流しは、五射六…

上記の通り、一連の伝統射法が示すとおり引く事ができると、この弓道教歌が示す通り、また射法訓の「鉄石相剋して火の出ずる事急なり」が示す通り、矢は鋭い矢勢で真っすぐに飛ぶことになります。そして以下の記事では、この射法の前提となる射法と弓具、特に宮田純治が再発見した堅帽子のゆがけ最大のメリット、「堅帽子のゆがけの弦枕にガッチリとかかった弦を、角見の働きで外す、という弓道の弓射法と堅帽子のゆがけの弦枕の機能により、離れの瞬間まで、矢をつがえた弦の左右のバランス・均衡が保たれたまま発射できる為、矢が蛇行せず真っすぐに飛ぶ」、という発見と内容が詳述されています。

弓手起点の離れと堅帽子のゆがけ

第24回世界弓術選手権大会(World Archery Championships 1967)は、宮田純治にとってグラスファイバーFRPの和弓を開発する契機となった他、もうひとつ非常に重要な発見が…

伝統の弓射の骨法・弓手起点の離れは習得が大変難しいですが、稲垣源四郎先生の著書では、弓手起点の離れは、きちんと正確な射法で稽古を積めば誰でもできるようになる、と説明されており、宮田純治も常日頃そのように指導しています。「弓道入門」の説明では、近的の的を射るときには、弦の返りや矢の飛ぶスピードがあまりに早すぎて、その違いがなかなか区別がつかないが、強風の中、遠距離弓射で細い竹矢の遠的矢を射る時など、状況が難しくなってもこの古来の弓手起点の角見の働きができていると、真っすぐ矢が飛ぶことが確認できる、とあります。宮田純治も自身が実践してきたように、この伝統射法により、弓力の弱い弓でも強弓でも、細い矢でも太い矢でも、同じようにまっすぐに矢を飛ばすことができるようになります。また最も大事な事として、自身も安全に、かつ弓具も傷めずに弓射ができる、先人の叡智を感じる弓道の奥深さを感じます。

フランス革命以後、世界の民主化した先進国においては、この弓道教歌についてやや封建的な印象を持つ方もいるかもしれませんが、当時の日本の時代背景を踏まえ解釈すると、弓道の本質を表した歌になります。「父母等しければ子の成人急なり」と、「日置流竹林派射術総目録」に父と母が平等であることが子の成長にとって良い事である、と当時からすでに男女平等が良い事とされているのは、興味深い事実です。また、この教歌は宮田純治が最も愛する教歌の一つで、指導の際に頻繁に引用していた歌になります。それは、この弓道教歌が弓道の弓射の本質をとらえた歌であると同時に、社会制度・システムは差し置いても、弓の製作・弓道指導のかたわら純粋に家族を大事にした、宮田純治の性格を表したエピソードでもあります。

(出典)

・「射法訓」 吉見 順正(台右衛門)

・ 日置流竹林派射術総目録

・「岡内木先生的前射法(口述記録:宇野要三郎他)」

・「絵説 弓道入門 全」 稲垣源四郎著

・「弓道教本 第四巻」公益財団法人全日本弓道連盟

・「ARCHERY The ultimate resource for recurve and compound archers」 USA Archery編