手の内の働きと弓の握りの太さ

射法八節の前身である「五味七道」の時代は、「手の内は射の総決算」と言われるくらい、手の内の重要さが強調されていました。それは、弓手の最後の働きで弦枕から弦を外すほどのひねりを加える角見の働きは、以下の記事でご説明したとおり、手の内によるものである為です。

手の内

手の内は、弓手起点の離れを実現する為に、極めて重要な要素であると同時に、実は弓具を傷めず壊さずに引く為にも、非常に重要な要素になります。正しく手の内を作った状…

よくあるお客様からの質問に、「弓の握りの太さはどのようなものが望ましいのか」、というものがあります。そもそもは弓のバランスは弓によって決まっており、射手の都合で選択するものではありませんが、結論から申し上げると、「手の内の弓をひねる働き、弓の耐久性の観点からは、握りは太いものが望ましい」、ということになります。ただし、弊社の弓は伝統の竹弓の成・形状を模範としたもので、その為にわざと握りを太くすることは無く、古来より最適とされている弓のバランスに準じています。

手の内を働かせる物理的な対象物は、言うまでもなく弓であり、ものの形(体積)がある弓(剛体)である弓の握りに、ひねりを加えていくことになります。一定の体積を持つ物体に力を加えると、回転・ねじりの力が加わることになり、これは物理学の視点から、体積のある物体に力を加えていくとねじりの力が加わる、「ねじれモーメント(Torsional moments)」という概念で説明されます。

物理学の専門用語がでてくると難しそうな話に聞こえるかもしれませんが、水道の蛇口をひねるイメージで、直観的な理解が可能です。水道の蛇口に大きな取っ手がついているのは、この力を加える部分から回転の起点の距離が離れているほど、大きく強い力が働く為、より楽に水栓をひねれる為になります。弓の場合も同様で、握りが太いほうが弓の回転軸からの距離が遠くなり、より強いひねりの力を生み出せます。

この働きは、引き分けしていくときに弓全体に分散して力がかかり、弓への負担を減らす効果があります。引き分け時の竹弓のこうがいおきなどの要因となるのは、ベタ押しで力が一点にかかりやすい場合に起きやすく、竹の構造上、表面に近いほど空気穴である維管束が多く強度が低いために、こうがいおきが起きてしまう場合があります。割り箸を両端でもって折り曲げると簡単に折れてしまうが、ねじりながら曲げると折れにくいように、手の内で鋭く弓を捻る事で、引き分け時の弓の強度を一時的に上げながら弓射していることになりますが、これもモーメントの原理に基づいています。

手の内は、「らんちゅうの手の内」と説明される通り、ぎゅっと握らずふわりと握るという説明がよくされます。「らん」とは鳥のひなの事であり、手の中にか弱いひな鳥がいる想定で、そのひな鳥を強く握って死なせることが無いよう、そっと手を添える程度、という説明が古来されてきました。また「らん」を「卵」にあてて、生卵をつぶさない、というイメージで説明されることもあったようです。

そのようなふわっと握る事で、弓を力強くひねることができるのか、と思う方もいるかもしれませんが、一度でも正しい手の内ができた人は、大三に打ち起こした時に、人差し指、中指、薬指、小指に余計な力が入っていないのに、打起して弓が少しずつ湾曲するにつれ、手の皮が握り革に吸い付くようにギリギリと巻き込まれ、大三より弓を捻ると、力強く弓がひねれる、不思議な感覚を覚えたことがあると思います。

以下は、宮田純治の手の内を、握りの位置で断面にした弓を上から撮影した写真です。この写真を見れば一目瞭然ですが、弓を握りこむ必要は全くなく、赤い線の手のひらと弓の接面で鋭いひねりが加えられる状態であることがわかります。むしろ弓を握りこんでしまうと、余計な力が入り適切に弓をひねることができません。手の内が完成した状態で、人差し指には全く力が入っておらず、中指、薬指、小指はそろえて添えている程度で、この4本の指では握りの部分を握りこんでおらず、弓との間に空洞ができています。添付写真の28mmの手幅の弓で、手がそれほど大きくない宮田純治の中指、薬指、小指の長さでも十分に余って弓との間に空洞ができています。天文筋を外竹の角につけ、手のひらと親指で弓を支えひねりの準備ができている状態、これが、「らんちゅうの手の内」になります。

これは、「弓道教本 第二巻」の「手の内の整え方」の説明にあるとおり、浦上栄先生の斜面打起し、神永政吉先生の正面打起しの手の内の完成形がほぼ同じ形であることからも、大三からは打起しや流派を問わず、手の内の形の基本は同じであることが確認できます。

物理的な作用として、赤い線の部分が、握りと手の接する面になり、握りの右から7:3の割合で当てた位置(黄色の点)を回転軸の基軸として、青色の方向に、ひねりの力を加えます。この接面とねじりの方向からも、中指、薬指、小指を握りこむ必要は無いことが理解できます。

物理学では、この青い矢印で示されるひねりを加える力は、「ねじれモーメント(Torsional moments)」という概念で説明されます。ねじれモーメントは、回転する起点からの距離が離れているほど強い力が加えることができる事は、材料工学等の物理学の教科書等でも説明されています。回転軸からの半径の距離が遠いほど力が強い、ということはつまり、握りが太いほうが、同じ力を加えても、弓が捻られる力が強くなることになります。物理学の理論的には、積分でその力を求めるわけですが、その半径が長い程、当然その力が及ぼされる範囲が大きくなり、力が強くなるわけです。

つまり、弓の握りと手の内に当てはめると、弓の太い握りのほうが、一見手の内を整えてひねるのが難しそうに感じますが、実は正しい手の内ができていれば難なく握れ、より強い力で弓をひねることができる事は、このように物理法則の視点から説明が可能です。

実際に、早稲田大学理工学部をご卒業され全日本弓道連盟においても、科学研究委員会委員長を務めていらっしゃいました稲垣源四郎先生が、「和弓特有の弓返り現象について」という武道学の研究論文において、このモーメントの原理で手の内の働きを説明しています。稲垣源四郎先生は、自然科学の物理学の素養を背景に、弓道・弓具の物理的な実験を行ったり、著書や論文でその仕組みについて物理学の視点からの説明が多くされ、古来の弓具・弓射の物理的合理性を解説しています。

ただし、弓の握りの太さはその弓が持つバランスにより標準が決まっています。また、弊社の弓の握り部分は、伝統の竹弓と比べて太いものではありません。伝統の竹弓の弓の構造が、いかに弓道の弓射に合理的にできていたのかというのが、物理学の視点からも確認できます。

その弓の標準より弓の握りを細くすると、以下の記事で説明した通り弓の耐久性が落ちてしまうのは世界の弓で共通の物理法則があり、かつ弓道の射法上からも推奨できないのは、鋭い角見をきかせたひねりが実現しづらくなるという上記の理由がある為、現在弊社ではそのようなカスタマイズは致しておりません。

握りの位置と弓把について

弓把は握りの上の位置で弦との距離を五寸程度(約15㎝)に張る、と一般的に言われていますが、その目的は弓把を高く、弦を弓がピンと張った状態に保つことで、弓射による…

この適切な握りの太さにより鋭い角見を利かせやすく、弦枕から弦が外れる働きもよく、弓手起点の離れで矢勢鋭く、直前まで馬手の左右のバランスが保たれて発射された矢は、まっすぐに矢が飛ぶ、という仕組みになります。

いずれにしても、物理的な法則としてひねった弓が弓返りとして速く鋭く回転する為には、手と握り革の摩擦が少ない程鋭く回転する為に、ふわりと力を入れずに、正しい形で弓を握る必要があります。

弦枕の弦のロックが弓手の弓の捻りにより外れた際に、弓が勢いよく回転する為には、ぎゅっと握ってしまうとその指と握りの摩擦で弓返りを止めてしまい、矢にそのエネルギーが乗り切らず、弦や弓にも振動を与えてしまい、弓具にダメージが残ります。

手の内が正しくできているかどうかは、素引きで簡単にチェックすることができます。

骨法と素引き

弓道教本第一巻「射法訓」に、「弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり」とあります。また、弓道では「骨法」が大事、と言われますが、この弓道における骨とは、どういう…

以下の記事でご説明した通り、素引きにて手の内を整えて、斜面に打ち起こすと、正しくできている場合は、人差し指、中指、薬指、小指に余計な力が入っていないのに、弓が弦で張られて動かない状態で、手の内が大三に打ち起こす過程で手の皮がギリギリと巻き込まれるようにしまっていく感覚が感じられます。それが無いと、手の内が崩れている可能性があり、大三からひねろうとしても、うまく力が入りません。逆に手の内を作らずベタ押しで握った状態で大三に打起し、弓をひねろうとしても、同様で、弓力が強くなるほど、会には至っても弓を適切にひねることができなくなり、馬手で放すしかなくなる状態になります。

手の内

手の内は、弓手起点の離れを実現する為に、極めて重要な要素であると同時に、実は弓具を傷めず壊さずに引く為にも、非常に重要な要素になります。正しく手の内を作った状…

この正しい手の内により、弓の太さも関係なく鋭いひねりを加えることができる為、宮田純治は手は大きいほうではありませんが、30㎜を超える握り幅の30㎏を超える強弓でも鋭い角見を働かせ、数々の弓道大会で記録を残してきました。

堂射で実際に使われた弓を見たことがある方は、その握りの太さに、本当にこんな太い弓を握って手の内が作れるのか、と驚かれた方もいるかもしれませんが、基本は同じで、手の内を正しく整え、弱い弓力の弓から、徐々に手の内の働きを覚えていくことになります。手が大きくない宮田純治が、握り太い強弓で、実際に以下の成果を出しています。

明治神宮例祭遠的大会三連覇

21歳で浦上道場に入門した同年に既に国民体育大会で東京代表として出場した宮田純治は、その後も順調に弓道稽古を積み重ね、2年後には全日本弓道連盟の審査で五段を授かり…

射流し(遠矢前)大会記録334m

宮田純治は、昭和41年、茨城県大洗町で開催された第12回射流し大会にて、334mを飛ばし、大会記録を出して第1位となり、茨城県知事賞の商品を頂きました。射流しは、五射六…

また、大日本武徳会関連の文献においても、日置で「かたく」握る説明が書かれている記述もありますが、手の内の働きと弓返りの物理現象からの自然な解釈でも、紅葉重ねでできる限り縦方向に詰めて小さく作ること、および大三に打ち起こした時にギリギリと手の皮が内側に巻き込まれる結果として縦方向に固くしまり、弓を支える状態になる事を指しているのではないか、と推測します。

耐久性の観点から握りが太いのが望ましいのは、洋の東西を問わず共通した物理特性で、アーチェリーの弓を例に、以下の記事でご説明しています。

握りの位置と弓把について

弓把は握りの上の位置で弦との距離を五寸程度(約15㎝)に張る、と一般的に言われていますが、その目的は弓把を高く、弦を弓がピンと張った状態に保つことで、弓射による…

物理学の概念というと、ちょっと難しそうで抵抗感がある方もいるかもしれませんが、現代は、様々なわかりやすい説明がされている書籍・動画コンテンツが多数あり、このモーメントの概念も数学や物理学を専門にやっていない人でも、直感的にわかるような説明も多数存在します。関心のある方は、出典で引用したそれらの説明も、参考までに御覧いただくと、より手の内の働きについての物理法則の理解が深まるかと思います。

(出典)

・「弓道教本 第二巻」公益財団法人全日本弓道連盟

・「和弓特有の弓返り現象について-武道学研究」日本武道学会 昭和62年11月 稲垣源四郎(早稲田大学)

・「弓道における自然科学の必要性-武道学研究」日本武道学会 平成2年11月 稲垣源四郎(早稲田大学)

・「これだけ!高校物理 力学編」桑子 研 著

・「ねじれモーメントと断面2次極モーメント(材料力学・構造力学)」(物理・数学を一から学びなおす-デルタ先生)

・「What is a moment? 」Massachusetts Institute of Technology マサチューセッツ工科大学ホームページ

・近畿大学農学部スペシャルサイト「竹の不思議な生態と構造を応用し、ものづくりのさらなる技術発展をめざす」