射流し(遠矢前)大会記録334m
宮田純治は、昭和41年、茨城県大洗町で開催された第12回射流し大会にて、334mを飛ばし、大会記録を出して第1位となり、茨城県知事賞の商品を頂きました。射流しは、五射六科でも説明致しました伝統弓道の遠距離射術で、可能な限り遠くに矢を飛ばし、この大会はその飛距離を競う大会です。
334mの飛距離は、射流し大会が縮小してしまった現在、いまでも公式の大会においては、全国1位の記録ではないかと思いますが、当時として全国1位の記録でした(射手として遠矢前も達人の矢師 曽根正康先生が、非公式の記録で宮田純治の334mの記録よりも飛ばした事があったそうです)。
使用弓:竹弓 6寸詰 (203cm、厚み6分4厘[約30㎏/85cm])(作:南﨑美利 村:曽根正康)
使用矢:竹矢 遠矢 (曽根正康作)
この大会で使用した弓は、南﨑美利の藤放しの名弓を、矢師 曽根正康先生の射手村により村取りされ、後に塗弓にして重籐に巻いた弓になります。手幅は3㎝、宮田純治の矢束で30㎏もある強弓です。矢は、通常の遠的矢より更に細く軽く直径6㎜弱しか無く、矢羽根も最小限のバランスをとる程度についている最小の矢羽根を持つ、射流し用の遠矢になります。
射流しは、できる限りより遠くに飛ばす射法で、使用する弓具は、自身の射こなせる最大弓力の弓かつ下を切り詰めた弓長の短い弓、できる限り細く軽い箆に最小の矢羽根の遠矢、弦も離れの摩擦を最小にする為、可能な限り細い麻弦に中仕掛けをしない弦になります。
このような弓具の仕様では、弓射そのものが、非常に高難度になります。弦に中仕掛けが無いため筈は弦に噛まずスカスカの状態で取りかけねばならず、非常に基本に忠実な取りかけができなければ、すぐに筈こぼれ、矢こぼれを起こしてしまいます。強弓を引いても完全に射こなすことができなければ、弓手起点で矢を真っ直ぐに放つことができず、少しでも馬手離れの射になってしまうと、強弓から押し出された衝撃と、馬手離れによる矢の振動と風圧に、デリケートな遠矢の竹矢が耐え切れず、空中で矢がバラバラになってしまう、ということが実際に射流しの会場ではよくあったそうです。
遠矢前のような、極限までの高難度の弓射技術においても、退き胴等の心得はあるものの、全ての基本は、正しい取りかけ、手の内、弓手・馬手の働き等、巻き藁・的前における通常の弓道の射法・射術になります。
普段何気なく引いている巻き藁、的前の弓道の基本は、最終的に突き詰めると、このような極限の弓射のパフォーマンスを発揮する事ができる、ということの裏付けでもあります。また、その弓射は、製作の難しい弓具である、伝統の素晴らしい名弓師・村師による竹弓、名矢師による竹矢によっても実現しています。
なお、この時320mを飛ばして第2位になった飯島崇晴さんは、宮田純治の浦上道場の同門の弓友です。飯島さんは後年、宮田純治が世界弓術大会に使用したグラスファイバーFRP日本弓を更に研究開発し、弓道用として製作販売する事について、弓道界の将来にとって重要な弓具になると賛同してくださり、私財を投じて宮田純治・ミヤタ総業の黎明期を支えてくれた方になります。