握りの位置と弓把について
弓把は握りの上の位置で弦との距離を五寸程度(約15㎝)に張る、と一般的に言われていますが、その目的は弓把を高く、弦を弓がピンと張った状態に保つことで、弓射による弓の破損を防ぎ、かつ弓射のパフォーマンスを良くすることにポイントがあります。弓把は握りの位置を含めた相対的な尺度で、和弓の湾曲した形状の為、同じ長さの弦を張っても、握りをどこに位置づけるかによって、その弓把の長さは変わります。下から三分の一のあたりにおいて、同じ弦の長さでも、握りを下に位置付ければ弓把が相対的に低くなり、上に位置づければ、それより弓の湾曲が広がった位置の為、相対的に弓把が高くなります。この弦の張り具合について弓把を基準にする場合、握りの位置との兼ね合いで、常に弓把を高く張り、それを保つことが重要になります。
和弓の握りの位置について、「紅葉重ね・離れの時機・弓具の見方と扱い方」(弓道範士十段 浦上栄 著 浦上直・浦上博子 校注)によると、以下の通り考察されています。「世界の弓は、みな全て上下の中央を握って行射するのに対し、日本の弓だけは、下から三分の一くらいのところを握って射る。然してその理由は一切説明せられていない。ある人は、昔戦場での弓を射るとき、立射では目標になり易いから折敷で射る。その時弓の下が地面につかえて射れぬなら下を握るのだと言う。それならば上も下も同じにして良いわけである。著者の考えでは、弓の上を長くして弓の破損を防ぎ、下を短くして(下を強くして)反発力を強めて、両得を計ったのが日本の弓であると思う」。
なぜ握りの位置と弓の破損が関係するのでしょうか?これは、馬手離れのアーチェリーと、弓手の角見の働きで弓返りの離れで矢を飛ばす和弓で弓の働き方が全く違う為、それぞれ別に考察します。
弓道の和弓は、細く長い和弓で古来、自然由来の素材で構成されたデリケートな竹弓の和弓でも破損せずに弓射できるように、弓具の働き・耐久性が、弓手で鋭く弓返りする射法が前提となっています。古来より弓射のパフォーマンスを上げながら、弓具の破損を防ぐ合理的な弓射法や、弓具の工夫が多々存在します。その一つが、上記の浦上栄先生の考察にある、握りの位置になります。そもそも、弓道の弓返りする射法が、デリケートな弓道の弓具の破損を防ぐ弓射の仕組みとして機能しています。弦打ちするときにおいても、手の内をつくらず弓をぎゅっと握って弦打ちした際、弓の矛先と弦がその振動で大きく振れるのが確認できます。しかし手の内を作って、弓返りさせて弦打ちすると、その振動が大幅に少なくなっていることがわかります(弦打ちでは馬手で放すしかないので、それでも弓、弦の振動は残ります)。弓を手に持った時、また弓射を行い弓返りした時の弓全体のバランスが安定し、この弓返りして振動が最小化される、適切な握りの位置が、古来より経験則によりいくつか定まったようです。
江戸時代頃になると、和弓の握りの位置にもひとつの明確な基準が存在したことが、当時の弓道の伝書を読むと確認できます。大和流弓道伝書によると、並寸または二寸伸の弓において握り下「二尺六寸二分(約79㎝)」、つまり下から79㎝の位置に握りの上部がくる位置、となります。ミヤタの弓の基準は古来の握りの位置の基準の一つである、並寸:握り下 二尺七寸五分(約83㎝)、二寸伸で約85㎝を採用していますが、これは大和流の基準よりも若干高めの基準になります。大和流は、弓道中興の祖と言われる森川香山先生が、全国を回って各流派の弓術を深く理解した上で体系化し、初めて日本(大和)の「弓道」という言葉を用いてまとめたもので、大和流は特定の流派の教えということではなく弓道一般の総論の教えであります。
以下は、宮田純治の義父の遺品である、服部喜寿の弓(並寸。矢摺り籐を含む籐は、義父より譲り受けた時に巻かれていたもの)と、ミヤタA型(並寸)を並べた状態です。どちらも、下から二尺七寸五分(約83㎝)の位置に握りがあります。
西洋のアーチェリーや日本以外のアジアの弓等、世界の弓については、浦上栄先生の著書で世界の弓に触れている通り、握りは弓の中央に位置しています。日本の弓道以外の世界の弓射は、弦につがえた矢を馬手で放す、馬手離れによる射法です。その弓射法は弓・弦に衝撃を与える為、弓の破損を防ぐ様々な工夫や進化が遂げられてきました。
弓には、弓射で弓を引くたびに、特に握り周辺の位置に、大きな負荷がかかります。加えて、馬手離れで放すと、その衝撃で弦、弓が振動していることが、世界の弓の弓射の動画などをみると確認できます。上記のアーチェリーの弓にもみられるように、特に弓に強い負荷がかかる握り部分は太く、その弓射の負荷に耐えられるように設計されています。ただ、和弓も握り部分が太くなっている点においては、和弓においても同様の物理特性、握り周辺に大きな負荷がかる特徴がある為、になります。
西洋のアーチェリーは、馬手で放す射法ですが、その前提の上で、西洋の弓も弓の破損を防ぐ様々な工夫、進化がみられます。1967年、宮田純治が渡英した時に英国グランド・ナショナル・アーチェリー・ソサイエティ シニアコーチのドン・ゴールド氏から宮田純治に寄贈された、西洋アーチェリーの名著「Archery The Modern Approach」(E. G. Hearth著、1966年刊行)によると、その一例として、近代アーチェリーの源流であるイギリスのロング・ボウは、木を削り弓にしたもので、日本の古代の丸木弓のような弓の形状で、それなりに弓の破損があったようです。それが、現代はより力学的に効率的な、スキー板のような薄いが平らで幅広の形状に進化し、弓長もこの現代のアーチェリーのリムは10-15パーセント程度ロングボウより短くなっていますが、その形状にすることで弓の耐久性が増し、弓の破損が減少したそうです。西洋弓術の馬手離れの弓射を前提として、その強い衝撃に対応した形状に弓を進化させた過程が伺えます。これと比較して日本の弓に関しては、弓長は長いまま、角見の働きで弓手起点で発射し弓返りをさせることで、弓、弦への衝撃を逃がし、弓と弦に振動を与えず、矢を真っすぐに飛ばす射法を前提とした弓具の進化、と全く異なる状況で進化してきました。
以下は、当時のアーチェリーの弓。弓の握り部分に大きな負荷がかかる為、当時はマホガニー、ウォールナット等の硬い木で製作された木製のハンドルで、太く弓が補強されている。
イギリス伝統のロング・ボウ(西洋のアーチェリーの源流)
https://www.longbow-archers.com/
現代の西洋のアーチェリーの弓の形状・スタイル
日本の和弓は、この大和流弓道伝書にも記載されている通り、弓長は平安時代ごろより七尺五寸(二寸伸)、江戸時代頃により矢勢を鋭くする為七尺三寸(並寸)のものが標準的となりました。産業革命以後、近代化した西洋の科学技術の産物である合成接着剤、グラスカーボンFRP、高い弾性を持つ樹脂の塗料、合成繊維の弦、ジュラルミン・カーボンシャフトと、より強靭で高性能な素材が和弓の弓具にも使われるまで、日本の和弓は竹、木、動物性の接着剤のニベ、弓の弾性への適応においては現代の樹脂の塗料よりも硬く曲げ耐性が相対的に低い塗料の漆(うるし)、という、当時日本で入手可能だった自然由来の素材のみで製作されていました。それで製作されたデリケートな竹弓の長弓と麻弦を使って、長い竹矢を破損せずに飛ばせたのも、「離れを弓に知らさぬぞよき」という弓具に振動を与えない、鋭く弓返りする弓手起点の離れを始めとした磨かれた射法と一体になった、弓道の弓具が存在していました。和弓の握りの位置も、その前提の上で、経験により最適な位置が、古来より研究され、定められていました。
このように握りの位置、弓の耐久性の話ひとつとっても、それぞれの射法に適合した奥深い弓具の合理性があります。それらの理解を深めていく事は、弓具を大事にしながら、射法を磨くうえでも、重要な事であると思います。
握りの位置においては、ミヤタの弓の標準の握りの位置においても、江戸時代の基準である大和流の79㎝よりは若干高めであるので、この基準の並寸83㎝基準で弓把15㎝をとると、同じ弦の長さで江戸時代の基準79㎝の位置では弓把は14㎝程度と低くなってしまいます。大和流の79㎝基準で弓把15㎝とると、ミヤタの83㎝基準では、弓把16-17㎝程度になっています。当時はそのくらい、弓把が高い弓でピンと張力を高め、弓を安定させ破損を防ぎ、かつ会に至った際に十分に弦が張りつめ、その為に弓手の角見の働きで弦が弦枕から外れる働きも良く、弓の破損を防ぎながら、和弓の性能を十分に引き出していたことが伺えます。大和流弓道伝書によると、「常ニ弓ノハ(弓把)高クシテ射ベシ」と説明されています。
この事実からも、和弓においても弓把は高く弦を張る事が重要で、弓把が低いと長めの弦で張っている事になり弓がそこまで安定せず、悪射による弓具の破損の可能性も高くなります。
また、和弓も弓を引くと、握りの部分に非常に強い力がかかる為、握り部分が通常太くなっています。それでも西洋のアーチェリーよりはだいぶ細く、射法で手の内の角見の働きで弓全体を捻る射法により、弓射を鋭くすることの他、その物理特性から弓射時の弓の耐久性も同時に上げています。また和弓の構造においても、この握りの太さが実は正しい手の内で鋭く弓を捻る事ができると、鋭い弓返りで鋭い矢勢を生み出す力の源となるのは、物理の法則からも合理的な背景があります。その弓道の弓射の合理性と弓具の物理的な関係については、また別の機会にご説明させて頂きます。
(出典)
・「大和流弓道伝書(森川香山)」
・「紅葉重ね・離れの時機・弓具の見方と扱い方」(弓道範士十段 浦上栄 著 浦上直・浦上博子 校注)
・「Archery The Modern Approach」(E. G. Hearth著)