離れの定義と馬手の働き
梨割と 言うは勝手の はなち口 肘(ひじ)を控えて 強く弾くを
この弓道教歌は、勝手(馬手)の役割分担について説明したものです。骨法の基本ができてきた射手が弓を引いて会に至った状態で、引いて湾曲した弓がフックの法則で原形に戻ろうとする力、その力と逆方向に弓と弦を引いていた力が物理の作用反作用の法則で釣り合っていた均衡が、弓手の角見の働きで弦が弦枕から外れる瞬間に崩れ、物理現象としての反動で、馬手が自然に弾かれるように開き、かつ勢いよく離れる、理想の馬手の働きを伝えた歌になります。この物理法則は、中学の理科、高校の物理の教科書等でよくでてくる説明で、ローラースケートを履いた二人が押し合うと、反動で後ろ向きに下がる物理現象と本質的に同じ法則です。
初心者は特に、不自然な力の入れ具合・誤った方向で馬手で引いてしまいがちである為、この教歌は、弓を引く体の中心から背中の側、後ろ側に馬手を回すような、たぐるような問題の射にならないように肘(ヒジ)を控え、馬手をまっすぐに引く指導も入っています。古来、武道において刀で兜を一刀両断にすることを「梨割り」と呼びますが、この弓道教歌は離れで押手(弓手)と勝手(馬手)が左右が分かれる際の、馬手の働きを伝えたものになります。
弦が弦枕から外れた際に反動で馬手が弾かれるように物理の法則で開く、というのは、あくまで素引きや巻藁稽古で弓手の角見の働きができるようになった後の現象なので、宮田純治が浦上栄先生からそう指導を受けたように、宮田純治も、この理想の馬手の働きについて意識を向けるのは、体をまっすぐに引く三重十文字、手の内等の骨法の基本ができてきた射手に対し、最後の段階で指導します。ちなみに大離れ・小離れ、という離れにおける馬手の開き方については古典に定義が示されているようで、「弓道辞典」(道鎮実著)では大離れ・小離れの説明は、室町時代の武家の伝書「了俊大草紙」にその説明がある、とされています。「一、弓の事・・・(中略)はなれは二様なり。大はなれというは肩先より三、四寸(9-12cm)まで也。小はなれは肩先より一、二寸(3-6cm)の内外のはなれ也」。室町時代ではまだ弦枕がついた堅帽子のゆがけは開発されていませんが、大離れでも弓手の角見の働きで離れ、その反動で開いた馬手は肩から12㎝前後である点、多少の長短はありますが、浦上栄先生、阿波研造先生等の近現代の達人の残身をみることでも、それが確認ができます。「日置流射道大意」(浦上同門会 監修:師家 加藤薫)によると、「十一離れ:(中略)みずからは求めないで、ここに至ったのを自然の離れという。自らこれを求めれば放つである。(中略)馬手は八寸(24cm)開くのを法とする。」とある為、堅帽子のゆがけができてから、さらに鋭い角見の利いた射がでて、室町時代よりも、馬手が弾かれる反動の開きもそれに応じて大きくなった可能性もありますが、それでも肩口から24㎝程度、という開きになります。自然科学的な視点においてもこの開き具合は、作用反作用の反動の馬手の軌道と人間の関節の可動域を考慮しても、妥当なものと思います。
教歌にあるように弾くように馬手が離れるのは結果であり、その為宮田純治は指導において初心から中級に至る射手を指導する際、弓力の弱い弓で角見の働きで弦枕から弦が外すことができるようになっても、まだ手の内で弓を強めに握り込んでしまい、弓返りにブレーキをかけ弓返りが不十分だったり、弱い角見の働きで結果として馬手があまり開かなくても、まず弓力の弱い弓で角見の働きで弦が弦枕から外れるようになったことが大きな進歩であり、この段階では弓返り、弦音、馬手の離れの開き具合は気にしないよう、指導しています。正しい基本ができる前に早急に弓返りや弦音の結果だけを求め、自己流でおかしな工夫をしないようにさせる為です。
その為上記の弓道教歌は、以下の弓道教歌とセットで覚えると、全体像がつかみやすくなります。以下の日置流の弓道教歌では、弓道は左右それぞれが役割分担を均等に果たしながらも、離れにおいて弓手の角見の働きが主、馬手が従であり、それぞれの役割分担を果たす教えがあります。上記教歌の強く弾く、というのは、物理現象として会で弓が戻る力と弓を引く力が作用反作用法則で力が均衡していた状態から、角見の働きで弦枕から弦が外れた際、弓が復元し弦が戻り、その反動で自然と馬手が弾かれるように開く動作を表したもので、馬手を能動的に放す動作を表したものではないことは、以下の弓道教歌と合わせて整合して理解することができます。
弓を引き 弦を引くとに 二つあり 押手はりこそ 弓はひくなれ
この教歌の浦上栄先生の解釈は、以下の通りとなります。
(解釈) (引き分けの)三分の二から残りを押手(弓手)、勝手(馬手)へ等分に惹きつけるまで押手を張り伸ばすようにして離れ時に角見を主として、勝手は無意識に離れる心がけで修行すれば、矢勢が強くなる。反対に押手を先に的に当てがい、勝手ばかりを引くのを弦を引く、といい、押手が守勢となって弱い業となる。ものを射抜く根本は、引き様にあるという事である。
このように、弓道の離れとは弓手で離れる仕組みの事であり、弓道教本第二巻で明確な定義が示されています。弓道教本第二巻「離れ」の説明において、154ページに非常に具体的に、弓手の離れの物理の仕組み、そもそも離れのきっかけと何か、物理学の用語を使わずに表現されています。
「会と離れとは射において截然(せつぜん:はっきりしている状態)たる境界をあわわすものであるから、その離れを導き出す動機が必要となってくるのである。すなわち離れの時機の働きは何であるかを考えねばならない。弦を右手で引き、その弦が右手の弦枕から別れるのが離れであるが、意識的に右手を働かして弦を放したのでは離れに色々の悪い変化が伴う。どこまでも右手の離れは左手によって誘い出さねばならない。それは弓の右角を左親指の付根(角見)で鋭く押して的に突っ込むのである。これが離れの動機となる。左手がこの動機を与えることによって、左右等分に離れたように見えるのであるが、本人が等分に離れたと感じるような場合は大抵右手が勝っているので、これでは弦の働きに悪い影響を及ぼすことになって、前にいうような『自然の離れ』とはならない。」
上記の説明を物理現象として解釈すると、「弓手で離れるとはどういう事なのか?弦枕にガッチリとかかった弦は何かきっかけが無いと、外れることは無く、離れは起きない。離れのトリガー(きっかけ)とは、左手の手の内の角見で弓をひねりつつ、最後に上押しの力を加味して鋭く押す事が、矢の発射のトリガー、つまり離れのきっかけとなっている。その力で弦が弦枕から外側(右側)に押し出され、その瞬間、作用反作用で釣り合っていた力の均衡が崩れ、ギリギリまでひねられた弓が鋭く弓返りすると同時に弦が前に飛び出す。そして馬手は物理法則に従い、反動として自然に弾かれるようにひらく。」、ということになります。また、「馬手離れでは必ず弦が左右に振動し、矢も大きく蛇行し、弦や弓に振動・衝撃・ダメージを与える」、ということを、「色々の悪い変化」という言葉で説明しています。
つまり、「離れ」は自分の意志で放つのではなく、離れのきっかけは弓手の角見の最後の一押し(射手の能動的動作)をきっかけに、弦枕にかかった弦が外れる(受動的動作)という弓具の仕組みから起きている、つまり射手は離れのきっかけを「弓手の角見の働き」として与えるだけで、後は弓具の仕組みで自然に離れる、ということ事を指しています。国語としての解釈でも、「放す」という動詞の能動態の名詞「放ち」ではなく、「離れる」という動詞の受け身の名詞として「離れ」、となっていることからもそれは理解できます。このように、弓道の離れには物理現象としての明確な発射のトリガーが存在します。そして下記の記事でご説明したとおり、堅帽子のゆがけの弦枕の機能はアーチェリーにおける弦の左右バランスを保つ器具「リリーサー」の役割があり、発射直前まで左右バランスが保たれ、弓手で離れることで弦の振動が最小に抑えられた射が「自然の離れ」、ということになります。このように、弓手の離れは矢勢良くまっすぐに飛び的中もよく、かつ自身も安全に弓具も傷めない、素晴らしい物理的合理性をもった伝統の弓道の弓射になります。
引く矢束 引かぬ矢束に ただ矢束 放つ離れに 離さるるかな
上記の弓道教歌にあるとおり、初心者では、まず「ただ矢束」で「放つ離れに離さるるかな」のように引いた弓がフックの法則・作用反作用の法則で弓が元の形に復元する力に負けて離されてしまい、だんだん稽古が習熟すると習得途上の「引く矢束」で馬手で放す程度になり、上達してこれ以上引けない「引かぬ矢束」で弓手の最後の角見の働きで、弦枕から弦を外す「離れ」になります。
「放つ離れに 離さるるかな」とは、弓道教本第4巻「離れ」にも「各流派ともはなれは放すにあらず」と説明があるとおり、この弓道教歌の下の句の解釈は、「馬手で放つ離れは、弓の戻る力を自身が制御しきれず、会に至っても角見の弓を捻る働きで弓手で離れることができない為に、自身の意思に反して馬手離れで離されてしまう」という意味になります。
初心者にはまず体をまっすぐに肩を平らに弓をひきわける基本、それができてきてから正しい手の内で大三から弓を弓手でひねる基本、そして馬手のとりかけにおいては、「の(シャフト)を一本分空けて」とりかけ、馬手が筈を知らずに押し出し、筈こぼれ、空筈を防止する正しいとりかけ、馬手もひねりながら矢を安定させたまま引くことを教えます。「の(シャフト)を一本分空けて取りかける、ということが、弓に大ダメージを与える空ハズを防止する最も大事なポイントで、これは物理現象としてアジアの蒙古式とりかけ法共通の教えで、以下の動画の説明でもそれが確認できます。
またこの馬手のとりかけ・働きについては古典に「半捻半搦(はんねんはんじゃく」)、という教えがあります。これは表意文字である漢字が既に意味を説明しており、読んで字のごとくですが、弓道の基本である三つがけのゆがけでとりかけた後、親指を反らし馬手を自分の体の側、親指の方向に捻(ひね)って弦にゆがけを搦(からめ)る様の教え、をまず教えます。日置流竹林派の教え「竹林射法七道」(小林治道述)によると、「弦搦といふのは懸(かけ・馬手)と弦の釣合で肘(ひじ)から拳に通じて懸をひねる味にある」とあります。このひねりを加えることで、人差し指の側面で矢を支える安定性が増し、角見の働きを更に助長することができます。ただ、手首だけでひねると逆に矢を手首から落とすことがあり、全日本弓道連盟初代会長宇野要三郎先生の弓道師範である岡内木先生の教えの通り、右手の第一腕全体が働く必要があります。堅帽子のゆがけには、固い控(ひかえ)がついており、これにより右手の第一腕全体を固定する役割があります。馬手の半捻半搦(はんねんはんじゃく)という動作の教えを理解するには、まず「弓道は三つ掛けが基本である」という前提を理解せねばなりません。アジアの弓射の基本の二つがけは弓道ではなく、四つがけは三つがけの堂射用の発展形になります。半捻半搦は、三つ掛けを前提とした指導内容なので、四つ掛けは、堂射で生まれたその発展形でゆがけの形状から馬手はひねらない為、その教えがそのまま適用できず、三つ掛けの応用編として対応する必要があります。その為四つ掛けは、残身の形も三つ掛けと異なります。四つ掛けを用いる堂射の流派である日置流竹林派の教え「竹林射法七道」(小林治道述)においてさえも、「当流では三つがけを主とし、四つがけは指矢に用ひられる。」との記述があり、他流派ではもちろん三つ掛けで、弓道総体として、流派に関わらず三つ掛けが弓道の基本になります。指矢は広義において、堂射を含み、上記「指矢」は、堂射の事を指しています。下記の記事でご説明したとおり、もともと四つがけは堂射用のゆがけとして生まれ、堅帽子のゆがけは堂射の四つがけから、的前用に三つがけの堅帽子とさらに進化しています。
具体的な図解の動作も、稲垣源四郎先生のご著書で詳細に説明がされており、下記の記事で説明しています。
正しいとりかけは、の(シャフト)一本分、間をあけて筈こぼれ、空筈を防止する
三つ掛けのゆがけで親指を反らし、ひねることが引き分け時の矢の安定にも重要
以下の記事で説明したとおり、東アジア共通の蒙古式射法は、馬手で放す射法では左右バランスが最も良い、弓道には無い二つ掛けです。馬手の引く力を更に強化する一方で左右バランスが崩れた三つ掛け、さらに左右バランスが崩れた四つ掛けでは、弓手の角見の働きで弦枕から弦を外す、という射法で左右のバランスを発射直前までにたもつ射法、というのが弓道の基本になります。
つまり、(弓道の基本である三つがけで)馬手をひねり、かつ弦が堅帽子のゆがけの弦枕・弦道にしっかりはまり、弦がからんでいる、馬手のバランスが重要であることが示されています。このバランスはどんなに詳細に説明したところで言語化が難しく、古典ではこの教えに沿って稽古を積み重ね、自分で体得できるようになって初めてその教えの真髄がわかるようになる為、「味わう」と説明されているようで、非常に興味深い日本語の表現でもあります。このような弓具、及び取りかけ法と射法で、弓手をひねる角見の働きで弦枕・弦道の弦のロックを解除する弓手起点の射法が、既に確立しており、今日まで伝統射法として受け継がれています。上記の説明は、以下の記事で全日本弓道連盟初代会長の宇野要三郎先生の弓道師範、岡内木先生の「オウムの離れ」の説明と一致しており、「竹林七道」でも離れは「鸚鵡(オウム)の離れ」として弓手起点の離れを説明しています。
このように宮田純治も、弓道の基本のうち、重要な順番から指導してゆき、基礎の骨格ができてきた射手に対して、最後にこの冒頭の教歌にある、馬手の働きを教えます。
射法八節の前身である「五味七道」やこの半捻半搦の教えのように、弓道の古典にはよく「味わう」という表現が用いられています。これは非常に興味深い話で、言語学者の今井むつみ先生によると、「言語は使えるけれども、ほとんどのことを説明できない。運動に似ている」と説明しています。つまり、言語での伝達には、限界があるということです。しかし、先人の叡智の結晶である弓道教歌を始めとした様々な伝承の指導には、言語化できないものを可能な限り言語化し、その磨かれた弓射技術をなんとか後世に残そうとした、先人の工夫が感じられます。弓道指導の教えを単なる情報としてとらえてしまうと、その本質を見誤ってしまう恐れがあり、体得する状態まで到達して初めて教えの真髄がわかる、ということがあります。つまり、情報の受け手である、稽古する弓引きが、それは正しいやり方が自身の血となり肉となり体得できるまで稽古を積み重ねなければならない、ということを心に留めておく必要があります。それにはまず伝統弓道において、言語化された古典の教えを正しく理解する必要もあります。実際に、全日本弓道連盟の前身である大日本武徳会の昇段審査の際には、純粋な国語能力検査の古典・漢文の読解能力テストが必須で義務付けられていました。それは正確に読み解けないと、古典の教えを見誤ってしまうことにあったようです。
馬手をひねる、などの最低限言語で伝えられることを教歌・伝書で伝え、そして言語化できない部分を、その射技を味わえるようになるくらい、稽古でその射技を自分の血となり肉となるように体得することが重要、と宮田純治も弓道指導において正しいやり方を学んだうえで、自分で考え体得する稽古が重要、と考えています。その正しいやり方の指針として、宮田純治は、今までにあらゆる弓道に関する古典の原典を入手し、大学で学んだ古典・漢学の読解能力を駆使してそれらを読み解き、弓道指導に役立てています。
数学や物理学の定理も、それらに関わる学者の方々が自然界の法則を発見し、その叡智と努力の賜物として後世に受け継がれ、今も発展を続けています。その定理のお陰で、私たちはその法則を一から自分で発見することなく、中学校・高校・大学の数学・理科・物理で勉強することで、その先人が発見してくれた叡智の、素晴らしい恩恵を受けています。自然科学の物理の法則に従う弓射である弓道も、長い伝統を通じて発見された、自然現象の物理の仕組みに沿った合理的な弓射の叡智が伝書や教歌に残されており、弓道教本にも折りに触れ、それらが紹介されています。それらを正しく学ぶことで、数学の物理や定理を学ぶのと同じような恩恵があります。先人が発見した様々な知恵が、手の内をはじめとした射法・弓具の工夫に反映されています。それらを後世に伝える為に、古来より教歌・伝書が存在し、弓具の製作者もそれら弓道の伝統を伝承する為、日々製作活動をしています。西洋の数学・物理学が導入される前ですが、それらの古典を紐解くと、弓道の射法や弓具は、驚くほど自然科学の物理法則に沿った説明がされています。実際に和弓の弓具の物理学的合理性について、昭和初期に物理学者により検証された事実もあります。
弓道教本のあちこちに散りばめられて残された伝書や教歌として残された古典を、正確に読み解き、それを稽古によって体得しまさに「味わい」、射でそれを体現していくことは、まさに先人が築き上げてきた叡智を継承し、弓道の基本を体得し、極意に近づくことであり、弓道を学ぶ楽しさの一つなのではないかと思います。
(出典)
・「弓道教本 第2巻」公益財団法人全日本弓道連盟
・「弓道教本 第4巻」公益財団法人全日本弓道連盟
・「日置流六十箇条」
・「日置流射道大意」(浦上同門会 監修:師家 加藤薫)
・「竹林射法七道」(小林治道述)
・「岡内木先生的前射法(口述記録:宇野要三郎他)」
・「絵説 弓道入門 全」 稲垣源四郎著
・「弓道辞典」(道鎮実著)
・「大日本武徳会弓道階級試験問題正解集」(桑村常之助著 日本之弓道社昭和8年刊行)
・「何度説明しても話が伝わらない理由:認知科学と言語の第一人者・今井むつみ」PIVOTチャンネル
(参考)岡内木(おかうち こだち)範士: 嘉永元年(1848年)生まれ。文久3年(1863年)3月28日、大的(遠的)1,000射のうち997中し、藩主より賞ぜられる。大正12年(1923年)に「日置流竹林派弓術書」を著す。門人多く、初代全日本弓道連盟会長の宇野要三郎もその一人。