弓手起点の離れと堅帽子のゆがけ

第24回世界弓術選手権大会(World Archery Championships 1967)は、宮田純治にとってグラスファイバーFRPの和弓を開発する契機となった他、もうひとつ非常に重要な発見がありました。それは、本大会において消去法で柔帽子を使用しなければならなかったことにより、逆に気がついた弓道における「堅帽子のゆがけの利点」であり、宮田純治が常日頃考えていた、「なぜ堂射において、強弓で非常な矢数をかけるために生まれた堅帽子のゆがけを、現代の弓道でも使い続けるのか」という問いに対して肚落ちする発見でありました。

世界弓術選手権大会においては、堅帽子のゆがけは雨天では機能しなくなってしまう事、また弓手の働きで弦が弦枕から外れる際に堅帽子に弦が触れ、矢の方向性に影響を与えるリスクを内包する為、特に70-90mの遠距離弓射において的中阻害のリスクとなる事から、堅帽子のゆがけは使えず柔帽子を使用しました。

「堅帽子のゆがけは、強弓で多数の矢を引くことができる」と利点を説明されることが多いですが、世界弓術選手権大会に向けて20-25kgの弓力の弓で一日に数百射もひいて稽古していた宮田純治にとって、このくらいの矢数と弓力では柔帽子で十分に引けるくらいに鍛えており、現代の通常の弓道稽古においてはなおさら、堅帽子である必要があるのか、当時は疑問に思うことがありました。それ以上の実例としては、浦上道場開祖の浦上直置先生は、「弓を引く予定の無かったある道場訪問において急遽弓を引くことになったが、ゆがけを持参しておらず、やむなくゆがけをつけずに素手で7分の竹弓(推定30数㎏~40kg前後)を50射引いて皆中させた」、という実話も聞いていた宮田純治は、なおさら堅帽子のゆがけは堂射レベルの強弓、数千射単位の矢数だから必要だったのではないか、と当時思うことがありました。

しかし、世界弓術選手権大会を終えて、宮田純治が通常稽古に戻り堅帽子のゆがけを使って弓道稽古を再開した際、しばらく柔帽子でのみ弓射をしていた影響で、弓手と馬手のバランスが崩れた射、前矢がいままでより多く出てしまうことに気がつき、完全に戻すまでに数か月かかりました。

そこで、宮田純治は気がつきました。「堅帽子のゆがけは、強弓で非常な矢数をかける目的の他、馬手を固定しギリギリまで角見を利かせて弦枕から弦を外す、という仕組みと射法により、完全な弓手起点の離れを実現するはたらきがあるのではないか。その為、堂射の時代が終わった現代弓道においても使い続けているのではないか」と、以前より疑問に思っていた堅帽子のゆがけが使われ続けている背景について、自分なりの回答をみつけました。堅帽子のゆがけを使い角見の働きにより弦枕から弦が外れ、ギリギリまで角見を利かし、弦が外れたとたんに弓は鋭く弓返りし、高速の弓返りにより弦は姫反り部分を打ち澄んだ弦音が鳴り、余すところなく弦から矢に力が乗り、真っ直ぐに鋭く飛ぶ矢が的を貫く。そのような堅帽子のゆがけによって確かに実現する弓手起点の射において、自身で改めて再確認ました。

世界の全ての弓射術同様、一定以上の弓力の弓を引く為の取りかけ法、弓道の蒙古式射法や、アーチェリーの地中海式射法にて馬手で放すと、矢と弦が必ず蛇行します。弓道用の長尺の矢はその蛇行が大きな問題となってしまう為、蒙古式射法のとりかけの弓道において、右側で支えていた弦と矢が作用反作用の法則で左側に触れて蛇行を開始してまわないよう、堅帽子のゆがけの弦枕にかかった弦を発射直前のギリギリまで左右のバランスを保つ役割がある。そして、弓手の角見の働きで弦枕から弦を外す、という堅帽子のゆがけと連動した射法により、左右のバランスを保ったまま発射でき、矢の蛇行・振動を最小限に留める仕組みになっていることを、改めて深く認識できました。

堅帽子のゆがけは、角見を利かせる弓手の働きにより、弦枕の溝にガッチリとかかった弦がはずれ矢が飛ぶという、堂射で生まれ現代の弓道まで続く弓具です。弓道教本第1巻にも掲載されている「射法訓」で有名な紀州藩の吉見台右衛門(後の順正)先生は、堂射1位の天下惣一となった和佐大八郎先生の弓道師範でもあり、自身も堂射の射手でもありました。吉見先生は、堅帽子のゆがけを使った弓手起点の射を「射法訓」にて説明しています。

初代全日本弓道連盟会長の宇野要三郎先生の弓道師範である岡内木(おかうち こだち)先生は、その吉見台右衛門先生の射法訓を引用しつつ、弓手起点の弓射の離れを、詳細に説明しています。

射法訓の「胸の中筋より左右にわかるるが如く之を離す可し」というのは、引き分けで弓手で鋭い角見を利かせて体を割り込んでいき、最後は胸が割れるようにして、堅帽子のゆがけの弦枕から弦を外し、弓手起点の離れを実現する為の一連の必要な動作を説明しています。更に岡内木先生は、弓手起点の離れを、「オウムの離れ」としてその仕組みを、人(弓手)にオウム(馬手)が呼応する様に例えて、以下の通り詳細に説明しています。

「鶏鵡(オウム)の離(はなれ)と云ふ事を教へます。それは鶏鵡が人の言葉をまねる如く、勝手(馬手)は押手(弓手)の真似をするのであります。(中略)押手の大指の附け根から勝手の鞣の弦道に向かって発信して、左右連絡を取り、単独行動をとらず、勝手は克く押手の命令を受けて共同の仕事をするのであります。(中略)弓と云ふ物は遠い所へ矢を送る自分の本職の他に通信機となって働いて居ます。それ故に左からの命令、右からの答信はみな、弓はこれを知ります。知れば弓の本職にも差し障りますから、通信は成る可く静かに細かく弓に知られぬ様にせねければなりません。『離れを弓に知らさぬぞよき』(弓道教歌)とはこんな意味であらうと思ひます。

上記は、弓手の角見の働きでひねられた弓が堅帽子のゆがけの弦枕にかかった弦を外す様を説明しておりますが、あくまでも主役は弓手、馬手はそれに呼応する働きと説明しています。馬手離れでは長い弓道用の矢が真っ直ぐに飛ばない理由は前の記事で説明していますが、岡内木先生が説明している通り、弓にもその影響があり、馬手離れでは十分な鋭い弓返りが実現せず、十分な力が弦から矢に伝わらなかった場合はその振動は弓に衝撃を与え、「弓が知る」事になる。「本職にも差し障る」のは、その射では真っ直ぐに飛んで的中するのに差し障る、ということを説明しています。弓も振動により劣化、破損につながるリスクを負います。

弓手起点の伝統の弓道の弓射は、非常に合理的に完成しており、伝統の弓道によって受け継がれています。角見の働きにより弦枕にガッチリとかかった弦を外すことは、正確な手の内の作り方から角見の利かせ方、その他弓道の基本がとても大切で、弓力が強くなるほどそれが困難になる為、古来より初心者は10㎏程度の弱い弓を用いて長年基礎を積み上げる稽古をするのは、その為になります。

宮田純治は、世界弓術選手権大会で柔帽子を使い、極限の的中競争に身を置く事により逆説的に、伝統弓道の堅帽子のゆがけの効用を、自分なりに発見する契機となり、改めて伝統弓道・弓具と射の合理性、奥深さを知るきっかけとなりました。

(出典)「岡内木先生的前射法(口述記録:宇野要三郎他)」

(参考)岡内木範士: 嘉永元年(1848年)生まれ。文久3年(1863年)3月28日、大的(遠的)1,000射のうち997中し、藩主より賞ぜられる。大正12年(1923年)に「日置流竹林派弓術書」を著す。門人多く、初代全日本弓道連盟会長の宇野要三郎もその一人。