弓射におけるエネルギーの法則と弓具の破損について①

弓道に限らず弓射の物理現象は、矢を弦につがえて弓を引いた分、湾曲した弓が元の形に復元しようとする力の位置エネルギーである弾性位置エネルギー(potential elastic energy)を持つことに始まります。それが、離れで運動エネルギーに変換され、そのエネルギーで矢を飛ばす、というのが世界共通の弓射の物理現象になります。これは、物理学ではフックの法則 (Hookie's law)で説明されます。弓に弦をかけて引き、その力で矢を飛ばす、という弓射の物理現象は、弓が引くに従い湾曲した状態から、元の形状に復元しようとする力が働く為です。弓がもし粘土のような性質であれば、引いた形に変形したまま元に戻らず、弓射は不可能です。

弓道では、頭上に打ち起こし、非常に強い力を生み出す背筋力をうまく使って引き分ける射法の為、特別な筋力トレーニング等行わずとも強い弓力の弓を会に至るまでは引けてしまう為かあまり意識されないことが多いですが、10kg程度の弱いとされる弓力の弓でも、会に至った状態で10ポンドのボーリング玉2つほどの、非常に大きなエネルギーを溜めた状態になっています。この位置エネルギーのイメージとしては、ボーリングの玉を持ち上げ腰のあたりで静止させ、手で放すと、球は下に落ちて床に衝撃を与えます。これはボーリング球が持ち上げた高さに応じた位置エネルギーを持ち、それを放すことで重力により落下運動として運動エネルギーに変換されたことにより、起こる現象です。

上記の物理現象を踏まえて、それではなぜ弓射による弓具の破損の現象が起きるのでしょうか?上記のボーリング玉の話でも、ボーリング場の床はそのボーリング玉の落下の衝撃に耐えられるように床が強化されている為破損しませんが、もっと薄い板材を使っている通常の床であれば、床が壊れてします。このように、弓射において折れる等の破損がおきてしまうのは、矢に十分な運動エネルギーが乗り移らず、その細い和弓に耐えきれないほどの大きい力がかかってしまうからになります。つまり、会で弓を引いた大きな位置エネルギーが矢に乗り移る運動エネルギーに変換されなかったエネルギーが、弓具に衝撃を与える為です。

物理の法則にはエントロピーの法則という法則があり、使用可能なエネルギーと使用不可能なエネルギーが存在します。弓射においては、会に至った位置エネルギーが、離れで使用可能なエネルギーと不可能なエネルギーに変換されます。使用可能なエネルギーとして、矢を飛ばす運動エネルギーがあります。使用不可能なエネルギーとしては、馬手離れで弦・矢が大きく蛇行するエネルギー、また弓返りしなかったり、弓返りが遅い為弓返りよりも弦が先に戻り関板を正面から打ち付け弓に振動を与えるエネルギーなどがあり、これらはそのエネルギーロスの為弓具にダメージを与える他、弓力の割に矢勢が出ない要因、細い竹矢・ジュラルミン矢がまっすぐに飛ばない要因となります。

また物理の法則には、エネルギー保存の法則があり、この使えないエネルギーがどこかに消えて無くなってしまうのではなく、これが弓具への衝撃となり、破損の原因となります。弦から矢にエネルギーがうまく伝わらず使えないエネルギーに多くが変換されてしまうと、それが弓に衝撃を与え、弓具が破損するほどのダメージを与える要因となってしまうことが、大きな問題になります。逆に、矢に乗り移るエネルギーが多い程、使えないエネルギーが少なくエネルギー効率が良い状態で、会に至った位置エネルギーを可能な限り最大に使えるエネルギーに変換したことになります。弓道においてはそれは、下記の記事でご説明した「離れを弓に知らせぬぞ良き」の教えにあるとおり、「角見の働きで弦枕にかかった弦を外す弓手起点の離れ」になり、これが弓具を傷めず矢勢鋭くまっすぐに飛び、的中もよい、最もエネルギー効率の良い射になります。

弓手起点の離れと堅帽子のゆがけ

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逆に、弓射で使えないエネルギーが最大になり、弓具に与えるダメージが最も大きくなるのが「空ハズ」の状態です。矢筈が弦から外れた状態で弓射すると、矢を飛ばすことに全くエネルギーが使用されず、その位置エネルギーのほとんどが使用不可能な、弓具に大きな衝撃を与えるエネルギーとなってしまいます。弦が適切に切れる程度の固さであれば、弦切れすることでその衝撃のエネルギーを弓に与える事を軽減して弓を守ることができます。弦が固すぎると、弦が切れずにその衝撃のエネルギーが細い和弓に強い衝撃を与え、破損の要因となります。程度の差こそあれ、馬手離れ、弓をひねらないベタ押しでの馬手離れも、その程度に応じて弓具へ衝撃・ダメージを加えます。

弦と弓把について

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5分でわかる!力学的エネルギー保存の法則

https://www.try-it.jp/chapters-8001/sections-8195/lessons-8204

図解!エントロピー増大の法則とは?

https://jp.dreamscope.me/blog/2021/4/entropy#google_vignette

エネルギー保存の法則・エントロピーの法則

https://www.geeksforgeeks.org/kinetic-energy/

弓射における弓の破損の主な要因については、主に以下の①と②がありますが、大きな要因は②になります。

①会に至るまでに弓が湾曲していく過程で弓にかかる負荷

②離れの弓射の衝撃

① は、竹弓のこうがいおきに代表されますが、竹の構造が表面に近い程維管束が多く、ベタ押しで弓を引くと特に弓にかかる負荷が1点に集中しやすい問題があります。つまようじや割りばしを大きく曲げると簡単に折れてしまうように、自然の素材の木や竹の曲がる力に対する耐荷性には、一定の限界があります。弓長を長くし会に至るまでの湾曲をなだらかにする等の対応もありますが、その分長い引き矢尺で弓を引けないと、弓の性能を最大に生かせません。そもそも和弓は江戸時代に並寸に標準化されており、本来は並寸の弓長でも破損せず竹弓をひけたわけです。和弓ではこれを、弓道の射法では大三より引き分けと同時に正しい手の内でひねりを加えていく事により、弓全体がひねられ弓への負荷が分散されることで回避しています。

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弓道の矢束とアーチェリーのクリッカー

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②についても、和弓では弓射法により回避しています。弓道では極めてエネルギー効率の高い弓射法、「弓手起点の離れ」により、位置エネルギーを運動エネルギーへ効率的に変換することで、弓具を破損しない弓射を実現しています。この弓射の衝撃は、弓長を長くすることで回避することができません。

弓道用の弓は、世界の弓に比べても長く細い形状であり、単位面積当たりの衝撃が他の世界の弓より大きく、弓道用の和弓においては、「離れを弓に知らせぬぞ良き」という教えにある通り、弓に振動を与えない弓射で引く必要があります。

この物理特性は、アーチェリーの弓射・弓具と比較することでよりよくわかります。馬手でリリースするアーチェリーは、太く幅広のリム、重い金属製のハンドル、和弓の弦よりも太く、近年は素材が非常に強靭な弦で、その馬手で放たれた弓射における衝撃・振動に耐えられるようになっています。弓をスタビライズ(安定化)する目的のスタビライザー、及びその先につけられたゴム等のダンバーという振動を逃がす装置がつけられています。通常、オリンピック競技等でみることができる西洋のアーチェリーは、リカーブ・ボウと呼ばれる、和弓のように裏反りのついた弓に直接弦をかけるものですが、コンパウンド・ボウという弓の矛先の代わりに滑車がついた弓があります。コンパウンド・ボウは、オリンピック競技を始めリカーブ・ボウの競技において使用は禁止されていますが、その滑車の物理法則で、弱い力でも強い弓力の弓が引けて、エネルギー効率よく発射できる西洋アーチェリーの弓になります。Mathews ArcheryのデザイナーのJeff Ozanne氏によると、自身が製作するコンパウンド・ボウは非常にエネルギー効率が良く、87-89%のエネルギー伝達効率があるとのことです。これは、弦の左右のバランスを保ったまま取りかける器具で、ボタンを押して弦をリリースする仕組み等を利用して、発射時に弦と矢をほとんど蛇行させない「リリーサー」という器具を用いることも、そのエネルギー効率に寄与しています。このようにコンパウンド・ボウは素晴らしいエネルギー効率を実現している弓具ですが、裏を返すと、それでも10%以上のエネルギーは、矢に乗り移らないエネルギーとしてロスしてしまう、ということになる点は留意しておく必要があると思います。

コンパウンド・ボウとは

コンパウンドをはじめませんか? - SHIBUYA ARCHERY

コンパウンドボウとは? コンパウンドボウというと「歳を取ってから始める弓」というイメージがあるかもしれませんが

1977年キャンベラ世界選手権アーチェリー男子個人銀メダリストである、亀井孝様のアーチェリーサイト「Pro Select Project」(旧a-rchery.com)の「パラドックス」の記事で説明されるとおり、和弓でもアーチェリーでも、弦に直接指をかける射法の場合、馬手で放すと必ず弦と矢が蛇行し、左右のバランスを保ったまま放すのは、物理現象としてほぼ不可能になります。それを、西洋アーチェリーではコンパウンド・ボウのリリーサーで解消できる、と下記の記事で説明がありますが、弓道において、弓手の角見の働きで離れる前提で、和弓の堅帽子のゆがけの弦枕・弦道には、このリリーサーの役割があります。

「パラドックス」(Pro Select Project)

https://www.a-rchery.com/book/Chapter12-Paradox.pdf

一方で伝統の和弓(竹弓)は長く細く古来より竹、木、ニベの接着剤、という自然由来の素材でのみ構成されており、麻弦を含めたこれらの伝統の弓具は、デリケートです。それらの弓具で和弓での弓射が可能なのは、それらの弓具の性質をよく知り適切に取り扱う前提で、弓射では堅帽子のゆがけの弦道にかかった弦を弓手の角見の働きで離れる弓手起点の離れにより、直前まで弦と矢の左右のバランスを保ったまま離れる事ができ、それらの振動について弓返りをはじめとした弓射を前提に、弓に可能な限り振動を与えない弓射と弓具の関係になっているからです。

アーチェリーは①、②、ともに弓具の強靭化(リカーブ・ボウ)・エネルギー効率化(コンパウンド・ボウ)により弓具の破損を減らしていますが、弓道でそのような弓具の変化がおこらなかったのは、①、②ともに射法・射術で和弓の弓具の破損が起きないようになっている為です。堅帽子のゆがけについている弦枕・弦道は、弓手起点の離れで離れる事で、コンパウンド・ボウにおける、発射時に弦と矢をほとんど蛇行させないリリーサーの役目を果たしています。堅帽子のゆがけは、弦道にしっかりと弦を沿わせ、固い控えで馬手の親指の先から手首に至るまで馬手を固定する役割があります。そうすることで馬手では放さず、弦枕・弦道にガッチリとかかった弦を、弓手をひねる角見の働きで外すという射法により、発射直前まで弦と矢の左右のバランスを保ったまま離れることが出来ます。これが、宮田純治が、弦枕と弦道がついた堅帽子のゆがけが、弓道・弓術の弓具における史上最大の発明と考えている理由になります。このように発射された離れは、非常に高いエネルギー効率で矢勢よく真っ直ぐに矢を飛ばし的中も良く、かつ弓具も傷めない、という特長があります。このように、非常にエネルギー効率が高い射法と弓具が一体となった弓道の射法が既に完成して、弓道の伝統として現代まで受け継がれています。逆に堅帽子のゆがけで無理な馬手の放し方をすると、弦を弦枕にひっかけあらぬ方向に矢を飛ばしたり、簡単に空筈になり弓に大ダメージを与えたり、危険な射につながる恐れもあります。

堂射で極まる弓手起点の離れとそれを支える新弓具、及び射の基礎となる伝統の骨法

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上記のとおり、弓射には使用できないエネルギーのロスの発生に対して、このエネルギーロスによる弓射へのダメージを西洋の弓は形状変化や材質の強靭化で対応し、和弓は射法でエネルギーロスを最小化することで解決しています。堅帽子のゆがけの弦枕・弦道は、上述した通りその為の大きな役割があります。

物理の法則というと何か難しいイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、物理学は自然現象を説明した法則であり、私たちのごく身近な日常生活でも、様々な現象が観測できます。出典に掲載した書籍やWebコンテンツは、専門的な知識が無くてもイメージでとらえられるような工夫がされており、興味ある方は一度御覧いただくと、よりその仕組みがわかり、弓具を壊さず自身も安全に、かつ矢勢よく的中よい射を実現する為にも役立つと思います。

(出典)

・「物理の法則(熱力学の法則)」(マサチューセッツ工科大学 Laws of Physics: Laws of Thermodynamics [MIT Open Course Ware] )

・「5分でわかる!力学的エネルギー保存則」(Try it)

・「図解!エントロピー増大の法則とは?」(Dreamscope)

・「マンガでわかる材料力学」(末益 博志・長嶋 利夫 共著)

・「フックの法則とは?」(建築学生が学ぶ「構造力学」)

・「コンパウンドをはじめませんか?」(渋谷アーチェリー)

・「パラドックス」(Pro Select Project)

・Mattew Archery official website

・「Kinetic Energy」(geeks for geeks)

・「How Compound Bows Work」(Outside)