世界初のグラスファイバーFRP日本弓の誕生

世界レベルのアーチェリー選手と競う為、より遠くに飛ばし、かつ的中を求める高性能の和弓が必要だった
宮田純治は、日置流印西派の浦上道場にて、故浦上栄先生の指導を受け、正式な伝統弓道を学び、その成果として近的・遠的ともに大きな弓道大会において実績を残しました。21歳の時浦上道場に入門した同年に既に射手としての頭角を現し、国民体育大会に東京都代表として出場。また明治神宮例祭奉祝遠的大会において、昭和36年、昭和37年、昭和38年の三年連続優勝で三連覇を果たしました。1967年World Archery Championshipsの事前の日本代表選手選抜合宿において、和弓部門で第1位、アーチェリー混合部門でも4位という成績をもって(当時弓道錬士六段)、同大会に唯一和弓で参加する代表選手として、参加しました。浦上栄先生より日置流印西派免許皆伝を授かり、弓道教士八段。

1967年World Archery Championshipsにて、自作のグラスファイバーFRP日本弓を引く宮田純治

上述の通り、あらゆる伝統の和弓を研究した結果、世界トップレベルのアーチェリー選手と遠的の的中競争をする為には、より性能を高めた弓具の必要に迫られました。全天候で使えて、高い反発力を持ち、より鋭い矢飛びと的中が実現するグラスファイバーFRPをアメリカから輸入し、竹弓の内竹と外竹部分を削りそこに張り付け、グラスファイバーFRP日本弓を自作しました。矢も弓道用のジュラルミン矢を自作し、World Archery Championshipsにおいて、実際に使用しました。

1967年World Archery Championships(世界弓術選手権)の日本代表選手団

左端が宮田純治。全日本弓道連盟から派遣された、唯一の和弓選手だった。日本選手の選抜合宿での宮田純治の成績は、和弓部門第一位、アーチェリー混合部門でも第4位(アーチェリールール下で和弓での成績)をおさめ、選抜された。

財団法人(当時)全日本弓道連盟「弓道」昭和42年11月号誌上の世界選手権報告書

(上記報告書の抜粋)「これからの弓具について」・・・(中略)・・・竹をグラスファイバーと比較してみよう。竹は寒暖乾燥の影響を受けやすいが、ファイバーグラスは殆ど影響されない。また反発力は全く優れている。これを例えば竹は皮と肉の部分からなっているが、ファイバーグラスは竹の皮繊維だけを更に強靭にし、固めたようなものである。次に「箆(の)」に代用するアルミ合金であるが、これも竹と比較し、気候その他の自然条件に影響される率は少ない。しかも、使用する弓の強弱、長短により、その長さ、肉厚、径を加減選択が可能である。・・・(中略)・・・以上の観点から、まず矢やアルミ箆、プラスチック羽を利用し、ゆがけは柔帽子に切り替え、弓にファイバーグラスを利用してみた。・・・(中略)・・・私の場合の利用法は、まず弓の内竹の竹を平面に削り、それにファイバーグラスをエポキシ樹脂で接着したものであるが、その程度の加工でさえ飛翔力、確率(的中)の面で大きな変化を見た。

昭和42年7月17日報知新聞記事

(上記記事の抜粋)・・・(中略)和弓は独特の弓なりなどのアジはあるが、取り扱いにくく当たりにくい。洋弓はグラスファイバーや鋼材の弓に照準をつけ、射る距離によって弓を引く長さも数学的に割り出されているが、和弓の場合は全て熟練によるカンしかない。宮田さんはこういったハンデを乗り越えるため、和弓の内、外のタケを、グラスファイバーに変えた。

西洋伝統弓術との交流会

1967年イギリスに渡り、英国伝統弓術組織、ブリティッシュ・ロング・ボウ・ソサイティのメンバーと、アーチェリーの原型である西洋の伝統弓、「ロング・ボウ」と和弓の交流会を行いました。写真右下が宮田純治。
異なる弓術、弓具の交流を通じて、西洋伝統の弓術・弓具の現状を知り、弓道・弓具の将来について考える貴重な機会となりました。

木製の西洋の伝統弓、「ロング・ボウ」と矢

写真は、西洋の伝統弓「ロング・ボウ」とその矢。今から150年以上前に製作されたもの。伝統を伝える素晴らしい弓矢であるが、1967年の時点で既にこの伝統の弓矢を製作できる職人は存在せず、新品を求めることは不可能でした。しかし、西洋の弓術・弓矢は、グラスファイバー・カーボンファイバーFRP弓、ジュラルミン矢、カーボン矢と変化しつつも、その中に伝統の性能・名残を残しながら、アーチェリーとして今も西洋弓術は残り、愛され続けています。

高性能のグラスファイバーFRP日本弓は、弓道用として高い可能性を持ち、世に送り出すことを決意
World Archery Chapmpionshipで使用したグラスファイバーFRP日本弓は、鋭い矢飛びと高い耐久性を持っております。江戸時代まで、藩費で購入した弓を仕事としての弓術の為弓を引く、職業人としての弓引きであった武士の時代から、現代の弓道では、基本的に弓具を部費や自費で購入し、学業や職業等の本業の合間に弓道に勤しむような環境に、昭和40年代の弓道の環境も既に当時大きく変わっていました。比較的手ごろで耐久性があり、性能よく、張った直後から弓がひけるグラスファイバーFRP日本弓は、これら現代の弓道の環境に非常に適しており、グラスファイバーFRP日本弓をもって弓具の側面から、現代の弓道を支えることができる可能性に着目し、帰国後、一般弓道用としてグラスファイバーFRP日本弓の製作販売を開始し、1973年(昭和47年)に法人化しミヤタ総業株式会社を設立しました。

ミヤタの弓は、素材にグラスファイバーFRP、カーボンファイバーFRPを使用していますが、伝統の和弓の銘弓を徹底的に研究し、その粋を詰め込んでいます。

初心者が基礎を学ぶにも、上級者がその技を体現する場合にも、できるだけ性能のよい弓を提供するべく、ミヤタは日々和弓製作に勤しんでいます。