World Archery Championships 1967に向けた遠的強化合宿
1967年の世界弓術選手権大会(World Archery Championships 1967)を見据えた遠的強化合宿を全日本弓道連盟が主催し、全国からアーチェリー・和弓の選抜選手が集められました。
選手の条件は、下記条件に合致する選手を地連会長が推薦した選手になります。
・全日本弓道連盟会員であること
・一日の練習量200射くらいの体力を維持し、現にシングル1,000点以上の実力を有するもの
・国際選手としてふさわしい人材であること
そもそもWorld Archery Championshipsはアーチェリーの国際競技である為、アーチェリーでも一定の実力が求められるシングル1,000点、1日200射ひける体力という条件が和弓ではかなり厳しかったこともあり、弓道の和弓の参加者はアーチェリーと比較して多くはなかったものの、宮田純治は和弓代表として、本合宿に推薦され、参加しました。
現代の弓道シーンの状況から、一日に200射、とはとてつもない矢数に感じますが、そもそもシングルラウンド1ラウンドで144本、2ラウンド合計で288本という矢数を4日間で引かねばならず、それも世界レベルの選手との競射をする為には、矢数の面からも相当な量になります。
弓道の視点からは、日に200射、というのは古来の武士が1日にかけた矢数にも相当するそうで、そうした厳しい稽古を積み重ね、江戸時代の武士は堂射で30-50kgものとてつもない強弓を、一日で数千射も射て、堂射1位の天下惣一となった和佐大八郎先生に至っては1万3053射の矢数をかけるまでになったようです。
近現代では、浦上栄先生が最も盛んに弓道稽古を積んでいた時期は、岡山藩弓道師範家の浦上直置先生(ひきわけ時の三分の二を取り入れた日置流印西派浦上道場の開祖)の指導の下、朝から夕刻まで、一日にかけた矢数は300射をくだらなかったそうです。
弓道は、弓具の決まった仕様や射法による制約が諸々あることもあり、自己流が戒められ適切な指導の下、適切な稽古・練習が望ましいとされますが、浦上栄先生の近的での平均的中率90-95%、模範演武で1手をひくときは、8割がた星的の星に2射的中したというその高い弓射技術は、そのような矢数をかけた稽古によっても成されたそうです。
この強化合宿で全日本弓道連盟に情報共有されましたが、宮田純治は、ありとあらゆる伝統の弓具を試せるだけ試し、どの弓具がどのような特性を持ち、World Archery Championshipsに使えるのか、徹底的に研究しました。