弓道の取りかけ(蒙古式取りかけ法)、古来の弓射の取りかけ(原始的取りかけ法)、西洋の取りかけ(地中海式とりかけ法)の長所と短所

明治時代、東京帝国大学(現在の東京大学)の客員教授として日本に滞在し、大森貝塚を発掘し、日本の考古学・人類学の先駆けとなったとされるアメリカの考古学者・動物学者のエドワード・S・モース博士、という学者がいました。モース博士は、その広範囲な考古学的研究の一環として、実は世界の弓射術の研究者としても世界的に有名で、中でも世界中の弓射の取りかけ方法を横断的に研究した、数少ない研究者一人です。そのモース博士の論文「Additional notes on arrow release」で世界中の弓射法、特に取りかけ方法について詳述されています。その中で東アジアの取りかけ方法、モース博士がMongorian rerealse(モンゴリアン・リリース:蒙古式射法・取りかけ法)と名付けた東アジア全般にみられる取りかけ法が紹介され、日本の弓道の取りかけも、蒙古式取りかけ法の一つとして説明されています。

「Release」の直訳は「(馬手で放す)放し方」になりますが、「射法・取りかけ法」と和訳されたのは、日本の弓道は放すのではなく、離れである為、という事情のようです。このモース博士の研究論文が刊行された1922年は大正時代ですが、論文中で「日本では蒙古式射法の取りかけに、親指に溝のついた手袋を用いる」と記されており、江戸時代に堂射で生まれた堅帽子のゆがけが、当時の弓道においても一般的で、現代まで続いていることが伺えます。

つまり、弓道の取りかけ方法そのものの原型は、日本特有のものではなく東アジア全般で一般的な取りかけ方法の一形態で、この取りかけ方法が和弓を含むアジアの弓・弓具の形状や、物理的な働きとも密接な関係があります。これは、西洋のアーチェリーの取りかけ方法、Mediterranean release(メディタレニアン・リリース:地中海式射法)とその弓具を比較することで、よりその違いが明確になります。なぜ弓道や東アジアの弓の多くは弓の右側に矢をつがえ、アーチェリーの弓は左側につがえるのか(右打ちの場合)も、この取りかけ方法も影響しています。

蒙古式射法も地中海式射法も、一定以上の強い弓力の弓を引く為に発展した取りかけ方法で、もともとは日本の古代においても、Primary release(プライマリー・リリース:原始的射法・取りかけ法)と呼ばれる取りかけ方法だったことが、モース博士の研究で示されています。

Primary release(原始的射法)は、子供がおもちゃの弓矢で遊ぶように、弦につがえた矢の筈を左右からつまんで引いて放す方法です。実は、これは弱い弓力の弓しか引けない一方、矢をつがえた弦の左右のバランスを保ったまま放しやすい為、矢の蛇行の振動を少なくして放てる、というメリットがあります。小動物を近距離で狩猟する等の目的で引く射法としては、この射法で成立していました。モース博士の論文でも、古代の日本ではこの原始的射法だった説明がされています。

Primary Release(原始的射法)

しかし、弓力の強い弓を引く為には、弦を直接指で支えたほうが有利になります。このPrimary Release(原始的射法)を発展させた取りかけに、この取りかけ法の延長として、中指と薬指で弦を支える以下のSecondary Release(セカンダリー・リリース:第二射法)があります。Primary Releaseには一般的には原始的射法・取りかけ法という訳語があてられていますが、直訳的には第一射法・取りかけ法(Primary Release)と訳す内容で、第二射法・取りかけ法(Secondary Release)が存在します。このように、矢をより遠くまで飛ばしたり、より貫通力のある射を実現する為に、だんだんと弓力の強い弓が引けるような取りかけの進化が、世界的には確認されています。

しかし、それよりも強い弓を引く為に、更なる取りかけの進化が、洋の東西で別々に分岐して進化してきました。弓道以前の中世以降の日本の弓術においても、弓道教本第一巻にも「弓は発射の器であるから、力の強い弓がよくものを射る目的を達することをはいうまでもない。あらゆる古代民族の弓は、みなこの目的によって発達してきたであろう。」との説明がある通り、弓力の強い弓を引く事は貫通力・遠くへ飛ばす能力を上げる手段として必要であり、蒙古式射法を取り入れたものと思います。

モース博士の解説では、弓道を含む東アジアのモンゴリアン・リリースは、このPrimary release(原始的射法)から発展した取りかけ法であるとしています。強い弓を引く為の東アジアの蒙古式射法、西洋の地中海式射法は、指をゆがけやリング、タブ等で指を保護しながら直接弦にかけることで、弓力の強い弓を引くことができます。そのメリットがある一方で、蒙古式射法、西洋の地中海式射法はどちらにおいても、この原始的射法の左右のバランスを保ったまま放す、というメリットを失います。馬手で弦を解除する際の左右のバランスが保てず、馬手で放すと必ず矢をつがえている利き手の反対側(現代の弓道は右打ちのみで左側)より必ず弦と矢が蛇行してしまう、というデメリットがあります。西洋アーチェリーにおいては、この蛇行がアーチャーズパラドックス現象として、弓に蛇行する矢・矢羽根が当たらないようにする必要悪現象とされています。弓道では引き分けで矢が「のじない」の状態にあると、しなっている状態の矢は部分的な弾性的位置エネルギーを持っていることになり、発射と同時に矢が蛇行します。真っ直ぐに飛ばない要因のひとつであり、かつこれらは全て、弓射のエネルギーが矢に乗り移ららず無駄になるエネルギーになります。

蒙古式射法(弓道の取りかけもこの分類)

西洋アーチェリーの説明においても、このモンゴリアン・リリース(蒙古式取りかけ法)が、最も強い弓力の弓が引ける取りかけ法、と説明されることが多いです。現代の西洋アーチェリーではThumb draw / release(親指での取りかけ法)としても説明されています。上記図のように、東アジアの弓の多くは人差し指と親指のみで取りかけることで(弓道には無い二つ掛け)左右のバランスを保ち、できる限り左右のバランス保ちパッと均等に放すことで、できる限り蛇行させず矢を真っ直ぐに飛ばす馬手での放し方が、射法により工夫されています。以下の動画では、弓道以外の東アジア共通の馬手で放すモンゴリアン・リリース(蒙古式取りかけ法)での馬手でのリリースのコツが説明されています。弓道で正しいとりかけの三つがけはするな、と説明されています。一方で、筈こぼれしないように、過剰な馬手と弦の接触を避け、矢の「の」一本分の隙間をあけて取りかけるなど、弓道との共通のとりかけのポイントも説明されています。

つまり、弓道以外の馬手で放す東アジア共通の蒙古式射法の基本は、人差し指と親指の日本の指で取りかける、弓道には無い「二つ掛け」の取りかけです。これが馬手で放す射法としては最も左右のバランスを保つのによく、なるべくパッと左右同時に放す放し方が良い、と上記の動画で説明されています(それでも矢はそれなりに左右に蛇行します)。弓道の的前射法で使う程度の10-20kg程度の弓力の弓であれば、この二つ掛け射法で十分弓がひけ、かつ左右のバランスが最も良いはずなのに、弓道の射法や弓具は、そのように馬手で放す為に効果的な射法を採用しませんでした。最低でも三つがけで、弓力の強い弓がひける取りかけ法に進化する一方で、馬手の左右バランスは悪い方向に進化しています。それは、堂射で極まった弓手起点の離れの射法と弓具を考察することで非常によくわかる為、次の記事でご説明します。

弓と矢の接触問題については、入木の弓で発射の時に弓をひねる事で弓本体に矢羽根を当てずに矢を飛ばす解決をしている点は、蒙古式射法の特徴です。その為、右手を馬手とする場合、弓の右側に矢をつがえる必要があります。ただ、弓道ではそれだけでは不十分で、蛇行する矢は長尺でバランスを崩しやすかったり、弓具の素材・構造上の問題から、弓具にダメージを与えてしまいます。弓道においては、弓力の強い弓を引くために馬手のバランスが犠牲になった分、逆に馬手を固定し、弓手で離れる事で、馬手の左右のバランスを保ったまま離れる射法になります。それを最大限まで機能させる弓具が堂射で生まれた、弦枕がありゆがけの弦道の溝に弦がガッチリとはまり、控えで馬手を固定する堅帽子のゆがけ、になります。一般的に多くの人が右利きですが、アーチェリーが利き手が重要な為右打ち左打ちがあるのに対し、弓道では利き手にかかわらず、それぞれの手が均等に重要な働きをしつつも、左手の弓手が最後の角見の働きでより主導的な役割を担います。

弓手起点の離れと堅帽子のゆがけ

第24回世界弓術選手権大会(World Archery Championships 1967)は、宮田純治にとってグラスファイバーFRPの和弓を開発する契機となった他、もうひとつ非常に重要な発見が…

次に、西洋のアーチェリーで一般的な、メディタレニアン・リリース(地中海式射法・取りかけ法)との比較により、東アジアの弓射や日本の弓道との違い、メリット・デメリットを考察してみます。

地中海式射法(西洋のアーチェリー)

この西洋アーチェリーで最も一般的な取りかけ法の地中海式取りかけ法は、蒙古式射法ほどではなくても強い弓力の弓を引くことができ、かつ弓手を固定し弓をひねる必要も無く左右のどちらにも矢をつがえることが出来て、馬手で放す射法として最も効率的、と西洋アーチェリーにおける説明を目にします。馬手で放す技術が重要な西洋アーチェリーにおいて、利き手で右打ち、左打ちを選択する際にも入木・出木の弓の形状を逆にするような問題も無くなります。矢の蛇行については、弓道以外の短い矢では、それでもまっすぐ飛び、西洋の弓矢では、その蛇行により、弓をひねらず矢が蛇行により矢羽根が弓に当たらず飛んでいくという、「アーチャーズパラドックス」というむしろ必要悪な物理現象、として成立し、それを採用することで弓手で弓をひねる必要が無くなり、馬手の放す技術に集中できます。

宮田純治が1967年の第24回世界弓術選手権大会後に招聘された英国グランド・ナショナル・アーチェリー・ソサイエティ シニアコーチのドン・ゴールド氏より、複数の本の寄贈を受けました。その本のうち一冊は、世界の様々な弓射術や弓具について詳述された、19世紀のイギリスの名著「Badminton Library of Sports and Pasttimes」で、世界の弓矢と弓射術を、弓道の弓具と射法と比較することでも、弓射における問題解決方法のその共通点や相違点など、様々な事がわかります。

西洋伝統の弓射・弓具と現代アーチェリーの関係にみる伝統弓道・弓具の将来

World Archery Championships 1967において、各国選手が使用していたアーチェリーの弓は、大半が既に米国製のグラスファイバーFRPのリムを使用した新型の弓で、矢もほぼ10…

この本の説明によると、「蒙古式射法では右打ちの場合は弓の右側に矢をつがえなければならない(左打は逆)が、(アーチャーズパラドックスにより弓手のひねる働きが必要ない為)地中海式射法では左右どちらにつがえても弓射できる」と説明されていますが、西洋の弓は右打ちで弓の左側につがえることが一般的であるのは、古来狩猟などにおいても、馬手を右手とした際に弓の左側に矢をつがえることは矢をつがえた弓を伏せても矢がこぼれないなど、歴史的に実用的なメリットがあったようで、その考察も以下の動画で確認できます。

いずれにしても地中海式射法においては、馬手で人差し指、中指、薬指と3本の弦にかけた指をきれいに放す為に、利き手で馬手で放す技術を習熟するまで、リリースを練習することが重要になります。

弓道の場合、矢が長く蛇行による振動が矢がまっすぐ飛ばない大きな要因となってしまう為、アジアの弓矢よりも更なる課題解決が必要となります。それが、馬手を発射の直前まで固定して、さらに弓を「弓返り」するほどに鋭くひねることで、発射直前まで弦と矢の左右のバランスを保ち、弦と矢の蛇行を最小限に抑える、という射法につながっています。その鋭いひねりは、ただ弓を握ってひねるのでは強い弓力の弓ではびくともしない為、その鋭いひねりを実現するための手の内が研究され、弓返りで鋭く前方から弓が弦を引っ張り、発射直前まで左右のバランスが保たれた矢がまっすぐに飛ぶという、弓道における最も重要な働きとなり、現代まで伝統射法として受け継がれてきたようです。

日置流の弓道弓歌 「引く矢束 引かぬ矢束に ただ矢束 放つ離れに 離さるるかな」

という弓道教本第4巻にも掲載されている弓道教歌にもある通り、「矢束いっぱい引いた張り詰めた状態から弓手の角見の働きで離れることができないと、(馬手で)放つ離れになってしまう」ということになります。

堅帽子のゆがけをつけ馬手をガッチリと固めた状態の、弓道の蒙古式取りかけ法は、実は非常に難しく、そのゆがけで固定された馬手でつがえた矢筈を押し出さぬように、馬手に余計に力が入らぬように正しく取りかけができるようになるまで、通常長い年月がかかります。知らずに矢筈を押し出したまま弓を引くと、空ハズに近い状態で、弓を引いた状態の位置エネルギーが離れで運動エネルギーに変わり、弓から弦に伝わる運動エネルギーの乗り移るべき矢に適切に運動エネルギーが伝わらない為に、弦と弓に大きなダメージを与え、弦が切れたり、ひどい場合は弓が破損する場合もあります。それを避ける為に、しっかりと中仕掛けをする方法が弦の保護の他に安全対策としてあり、特に初心者において、強くその方法を推奨します。

しかし、本当の正しい取りかけができると、宮田純治がしてきたように、全く中仕掛けをしない弦でも全く滑らず取りかけでき筈こぼれも矢こぼれも起こさず、弦と矢筈の摩擦が最小の状態で遠矢のような極限までの高難度の弓射も可能となる事実は、伝統の弓射の射法の事実として、頭の片隅に置いておくとよいかもしれません。

射流し(遠矢前)大会記録334m

宮田純治は、昭和41年、茨城県大洗町で開催された第12回射流し大会にて、334mを飛ばし、大会記録を出して第1位となり、茨城県知事賞の商品を頂きました。射流しは、五射六…

西洋では競技・スポーツにおいて発展してきた「メディアレニアン・リリース:地中海式射法」により、弓手を固定し馬手の放す技術を磨いてきた一方で、弓道は「モンゴリアン・リリース:蒙古式射法」で馬手の引く力を強化する一方で離れの左右のバランスが悪化する解決法として、全く逆の発想で、馬手を堅帽子のゆがけで固定してしまい、弓手の手の内の働きで離れる射法に進化してきました。江戸時代の堂射でそれが弓具の改良とともに最も強化・洗練され、馬手を堅帽子のゆがけで固定し、弓手の働きを最大化して弓を引く射法を発展させてきたことは、非常に興味深い事実です。それが、引き絞り湾曲した弓の弾性的位置エネルギー(Elastic potential energy)を、離れによって運動エネルギーに変化したエネルギーを非常に効率的に余すところなく矢に乗せ、弦や弓に振動を与えずに、弓具にダメージを与えないという両得の効果をもたらしたことは、和弓の製作者からみても、非常に素晴らしい独自の弓射・弓具の進化を遂げたと思います。

西洋のアーチェリーの地中海式射法は、中指・薬指・小指と三本取りかけた指を力の配分を適切に放すのが難しく、利き手を馬手にして、長い練習が必要となります。一方で弓道は、左手の弓手で正しい手の内を作り、骨法で弓をひき、馬手を固定し弓手の働きで弦枕から弦が外れるほど強く鋭い角見の働きを養成する必要があります。音楽でも、ピアノやギター演奏も、利き手の片手だけうまくなっても上手な演奏ができないように、両手をそれぞれの役割分担に沿って、両手を自在に扱えるように、昔の武士が試行錯誤を経てたどり着いたベスト・プラクティスである射法・射術の正しい稽古を積むことが、遠回りのようで近道になります。その適切な身体の働き方、特に手の内は日常生活では通常なかなか養えないもので、弓を使って手の内・骨法を鍛える為に、古来より何年も「素引き」による稽古がされてきました。

骨法と素引き

弓道教本第一巻「射法訓」に、「弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり」とあります。また、弓道では「骨法」が大事、と言われますが、この弓道における骨とは、どういう…

弓道の弓具は、江戸時代の堂射において、三十三間堂廊下の天井5mの高さ制限がある中、120mもの長距離を飛ばすために、可能な限り真っすぐに矢勢を保ったまま矢を飛ばす為に、近世で最も弓具の研究・改良が進みました。その結果生まれたのが、裏ぞりが多くついた三寸詰~五寸詰の下を切り詰め下を強くし反発力を高めた弓長の短いヒゴの竹弓、矢尻方向に円錐形の形状をした堂射用の竹林矢、そして弦枕に弦道の溝がついた堅帽子のゆがけになります。西洋のアーチェリーは、最長でも90mの距離を、数学的・物理学的に緻密に計算され放物線を描くような角度をつけて弓射しますが、堂射ではその矢勢では、その距離と高さ制限で矢を通すのは不可能になります。和弓の長尺の弓矢を生かし、高く弓を打ち起こして、骨法にて非常に強い力を生み出す背筋力を効率的に使い、30-50㎏とも想定される(当時は弓の厚みによる計測で、正確な弓力推定は困難ですが)堂射用の強弓を引くために、四つがけの堅帽子が生まれました。これは、弓矢が短く馬手の力で弓をひき、地中海式射法を用いる西洋の弓と射法、東アジアの二つ掛け蒙古式射法では、一般には弓力が強すぎてとても引けないレベルの強弓です。一方で、弓道の取りかけでゆがけは三つがけでは人差し指に加えて中指、四つ掛けではさらに薬指も取りかける為に、左右のバランスがより均衡せず、馬手を固定し弓手で離れる射法に行き着いています。

堂射の矢である竹林矢の形状からも、それがわかります。竹林矢は、その形状から馬手離れの矢の蛇行があるとまっすぐに飛ばず、弓手起点で離れることができないとすぐにバランスを崩してしまう、非常に高難度の弓射技術が求められる矢になることは、以下の記事でご説明したとおり、宮田純治が実際に試してみて体感しています。

World Archery Championships 1967に向けた弓具研究③ 矢、ゆがけ、弦

矢は、以下の矢を、ジュラルミン矢含め、矢師の曽根正康先生が製作してくださいました。 矢 ・竹矢(一文字、麦粒、竹林[堂射用の矢]:曽根正康作) ・ジュラルミン矢(…

後から考察すると、宮田純治が参加した1967年第24回世界弓術選手権大会において、消去法で柔帽子を使わざるを得なかった為の不十分な弓手の角見の働きによるミスショットが大会当日にもそれなりにでたのかもしれませんが、どちらにせよ結果的に、堅帽子のゆがけの効用を知る契機となりました。矢師の曽根正康先生が、世界弓術選手権大会に参加する宮田純治の為に製作してくださった素晴らしい性能の堂射用の竹林矢は、対候性その他の観点等から、最終的にイーストンのジュラルミンシャフトが採用となったものの、伝統の弓射・弓具の物理的な働き、その合理性を再確認する為にも、非常に役に立ちました。

World Archery Championships 1967  グラスファイバーFRP製和弓の挑戦

1967年6月25日、オランダ アメルスフォートで開催されたWorld Archery Championships 1967の第一日目が、開会式の後、昼近くから競技が開始されました。晴天には恵まれた…

和弓の製作者としては、堂射の極限まで磨かれた射技とその弓具の工夫は、弓射の物理現象の視点からも非常に合理的で、江戸時代の当時、既にそのような工夫がされていた事は驚異的です。しかし残念ながら、極限まで弓道の射技を極めた武道としての弓術・弓道においては、古来の日本最大競技とも言える堂射は当時から武道の観点から批判も多く、人により評価がわかれるところがあります。

現代の民主化された日本においては、「競争」という日本語は日常使われてる言葉で信じられないことかもしれませんが、そもそも武道は伝統的に人と競争するものではなく、武術を通じて自己を研鑽するものでした。実際、英語から多くの日本語の翻訳語を作った福澤諭吉は、英語の「Competition」にあたる日本語が無い為、「競争」という日本語を作った経緯があり、それ以前には競争という日本語がありませんでした。堂射は天下泰平の江戸時代に例外的に行われた競射ということもあり、また開催に非常な大金がかかる為、尾張藩、紀州藩等の大藩中心に開催されていました。その為、日置流尾州竹林派・紀州竹林派を中心とした一部の流派を中心に盛んに行われていましたが、全く堂射に関わっていなかった流派もそれなりにありました。その為か、堂射で発達した弓具については、弓術・弓道に関する古典でも、その開発された弓具の性能・性質の研究過程や物理的効果などについて詳述されたものが、ほとんどありません。

またゆがけも、もともと騎射に使用する五本指を包む、諸がけとも呼ばれる柔帽子の一具掛(いちぐがけ、日置では折目掛)を主に使用する流派もあり、堂射以後も、堅帽子のゆがけを使わずに弓手の離れを習得する教えもあったようです。

このような背景がある為か、宮田純治がその自身の弓道の射手、和弓製作者、また世界の弓矢との比較や世界のトップアーチャーとの競射の経験からも、弓道の弓具史上最大の発明、と考えているほど画期的な堅帽子のゆがけについて、物理法則の視点からもそれほどその機能について具体的な説明がないまま、現代まで使われてきたようです。

しかし、その堂射の競射で生まれた、弓手起点の離れを極めた裏ぞりの多くついたヒゴ弓や、堅帽子のゆがけ等の新弓具が現代の弓道まで継承されてきた事実は、伝統のヒゴの竹弓、堅帽子のゆがけ等の弓具が弓道の弓射法として、もともと通常の弓射で三つがけだったゆがけを柔らか帽子から堅帽子にわざわざ改良して的前の通常の弓道に使用され続けてきたのは、通常の弓射においても、最も優れた弓具であった為ではないか、と和弓製作者の立場からも思います。

現代の弓道の弓具も、堂射用の竹林矢こそほとんど使われなくなったものの、伝統の裏ぞりの多くついたヒゴの竹弓、堅帽子のゆがけは現在も標準の弓具として利用されている弓具であり、これらがどのような背景で生まれ進化し、どのような性質を持つのかを理解することは、弓具を痛めず自身も安全に、かつ矢勢良く的中良い射を実現する為にも、有用なことと思います。

その中でも特にゆがけの形状や性質は、弓道の射法にも非常に大きな影響を与えており、最も弓射に影響を与える重要な弓具の一つになります。その為、その時代その時代の当代一流の射手によっても、様々に研究され、進化してきました。ゆがけはその形状で離れの性質・射法が規定されてしまうほどの大きな影響があり、次の記事でご説明致します。

(出典)

・「Additional notes on arrow release」Edward Syrvester Morse著(1922年)

・「Badminton Library of Sports and Pasttimes」(Edited by His grace the duke of Beaufort, K. G. 19世紀後半)

・「7 Min Friday: Thumb Release Beginners Issues and how to fix them」Armin Hirmer

・「近世日本弓射の様態と意義の多様化について」体育史研究論文(2018年3月)入江康平著

・「堂射」入江康平著

・「東 京大学創立120周年記念東京大学展」東京大学附属図書館

・「弓道教本 第一巻・第四巻」公益財団法人全日本弓道連盟